淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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The best way to predict the future is to invent it

道の途中

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道の途中

 行列は、この一面の起伏のない荒地の地平線の向こう側から伸びてきて、その反対側の地平線の向こう側へと消えている。これは僕が生まれてからずっと変わらない、いくつかのことの一つだ。僕らは、今の季節には草すら疎らな荒野の真っ只中で、それ以外の方向は存在していないみたいな顔をしながら、律儀に一列に並び続けている。僕は、右斜め前の地平線にある小山を見るのが好きだ。だけど理由もなく前方以外の方向を見るのは禁じられているので、いつも眼だけを動かしてそちらを見る。

 この行列は決して動かない。少なくとも僕が生まれてから、微塵も動いていないことは確かだ。中には、自分達は人間には感じられないほど僅かずつ前に進んでいるんだ、と主張する者もいる。周りの景色が一様で基準点がないので、それに気付けないのだと。だけど僕に限って言えば、基準点は存在する。僕の右側には、僕を生んだときに死んでしまった母さんが埋められている。母さんを埋めたときに父さんが目印に置いた石がそこにあるからだ。墓を作ることは、墓で行列の周囲が埋まってしまうから本当は禁じられているのだが、父さんがこの周りに転がっているのとは違う色の石を雨季の激しい雨に流されないように、地面に半分ほど埋めたのだ。その横には今では父さんも埋まっているはずだ。だけど、僕は変わった石なんて持っていないから、父さんの分の目印はない。

 そんな石をどこで手に入れたのかと父さんに聞くと、父さんはいつも笑うだけで答えてはくれなかった。だけど今ではその答えを僕は知っている。離脱者から買ったのだ。離脱者は列から離れて流浪する人達、時々泥色の襤褸切れを被って姿を隠しながら列に近づき、ここでは絶対に手にはいらない珍しい品々を売ろうとする。見たことのない草の押し花、砂をひきつける石、きらきら光る砂、いい匂いのする布切れ。でも、彼らを相手にする人などほとんどいない。禁じられているというのも理由の一つだが、最も大きな理由は彼らに払う対価をもっていないことだ。だけど中には、配給の食糧、配給者と呼ばれる列を離れることを唯一許された男達が、巨大な袋を担いで一日に二度配る食料の一部を、少しずつ貯めこんで、離脱者と物々交換するものもいる。でも、そんなのはあくまでほんの一部。正気の人間はそんなことはしない。そこから、僕の父親は正気ではなかったことが結論付けられる。そのせいで、人々は僕のしぐさの端々や、このまだるっこしい喋り方の言葉尻を捉えては、僕もまた正気でないことの証拠としようとしたりする。

 父さんの顔はよく覚えていない。父さんは僕の後ろ側にいて、後ろを向くことは非常時以外禁じられていたからだ。唯一後ろを見てよかったのが、前から伝わってきた伝言を後ろに伝えるときだった。その伝言は長い道のりでぼやけて変わって行き、大概が

 「中で何が起こってるのか 起こで何が中ってない」

 みたいな意味のよく分からない文面になっていたが、僕らには聞いたまま後ろにまわしていくしかなかった。その時に一瞬だけ父さんの顔を見る。しかし、記憶にかすかにあるその顔は奇妙によそよそしい。それから数日後、もしくは数ヵ月後に、今度は後ろから伝言が伝わってくる。ところが、その文章も意味がとりにくく、また前からの伝言がほとんどない時期に後ろから二度来たりするので、そもそも前の伝言に対する返事なのかも分からない。

 「ふたつの次はここのつで次はななつ 真夏のツノはココナツの常夏のツノ」

 このときの父さんの声ははっきり思い出せる。懐かしいあの声だ。僕にとって、父さんの思い出は、その姿ではなく声なのだ。

 まだ生きていたころ、父さんは僕に色々な話をしてくれた。私語は厳禁だったけど、父さんは少し身を屈めて耳元に、僕にしか聞こえない声で話しかけてくれた。僕には父さんの顔は見えなかったけど、その声はとても楽しそうだった。父さんの話はいつもこの世界の成り立ちについての話だった。

 この行列がいつから続いているのかという話。永遠の昔から続いているはずはない、と父さんは言った。人間は子どもを産んで多くなるんだから、最初はもっと少なかったはずだ。そうしたら、そんな少ない人数で行列が作れるはずはない。だから、昔々、誰も思い出せないような昔に、この行列が出来たに違いない。すると最初は行列は動いていたはずだ。ただ列を作るだけのために列になるのはおかしい。時々地面の中から出てきて大きな虫の死骸を巣に運び込む蟻たちがそうするように、どこかへ向かって動いているから列が出来るのだ。そしてその列がはるか昔に、何かの事故で止まってしまったんだ。だから、辛抱強く待っていたらまたいつか動き出すはずなんだ。

 行列がどこへ向かっているのかという話。きっとそこはいい場所のはずだ。人間誰でもいい場所に行きたいと思うはずで、悪い場所に行きたいと思う奴はいない。悪い場所に行くのにこんなに長い行列を作るのはおかしい。行列なんか作らずにさっさと他の場所に行けばいいのだ。ここよりましな場所なんて、世界にはたくさんあるはずだ。

 地平線の向こう側の話。草ではなく木と呼ばれる物が生えていて、甘い汁の入った大きな実がなるという話。澄んだ水がたくさん流れているという話。人々がただ並んでいるだけではなく、どの方向を向いてもよく、動き回ることができて、どこに行くのかを自分で決められるという話。

 どれもこれも父さんがしてくれた話。乾季の暑い日差しの下で、額に流れる汗をぬぐいながら。短いが激しい雨季には、被った防水布越しに、高下駄の下を流れる泥水を感じながら。今だって眼を閉じれば聞こえてきそうなあの優しい声。希望に満ちた声で語られたあの楽しい話。皆が嘘だと言う話。狂人の戯言に過ぎないと言う話。

 父さんは確かに正気ではなかったが、希望によって正気を失った最後の人物だった。あのころ希望は非合法だった。いや、いまも希望は禁止されているが、誰かが希望を口にしても、もう誰もそれを咎めない。希望がかつて持っていた力は失われてしまったのだ。いまでは、人々が正気を失うのは、列から離脱してしまうのは、希望ゆえにではなく、絶望ゆえにである。多くの人々にはもう希望と絶望の見分けすらついていない。希望を見たこともない人達にはその二つの区別はそもそも無理なのだ。

 父さんも一度は離脱者になりかけた。多くの離脱者と同じように、必死に溜め込んだ食料を持って、真夜中に列から離れたのだ。列からちょうど直角に歩いて行ったのだ。父さんからそのときの話を直接聞くことはなかった。だけど、人づてには聞いた。父さんは一週間後列に戻ってきて、配給者達に頭を地面にこすり付けるようにして、どんな罰でも受けるからもう一度列に加わらせてくれ、と涙ながらに頼み込んだという。ある人達は、これこそ父さんの話が嘘であることの証拠だという。地平線の向こうにもしいい場所があるなら、父さんは帰ってこなかったはずだ、と。

 たぶん彼らの言う通りなのだろう。別にそんなことはどうでもいい。僕にとって、父さんの話がどこまで本当でどこからが嘘だとかそういう話は重要じゃない。大切なのは、父さんの話には本当の希望があったということなのだ。たぶん父さんは列から離れて死にかけた。そこにはここよりいい所なんてなかった。だから父さんは引き返して恥と屈辱をしのんで列に復帰したのだ。もしそうしなかったら、すぐに死んでいただろう。もしくは離脱者の集団に入っていたかもしれないが、結果が早いか遅いかの違いだ。だから、父さんが帰ってきたのはとりあえず正しいことだったと思う。大切なのは、そこまでの経験をしながら、父さんが希望を捨てなかったことだ。なぜ希望を捨てなかったかと聞かれたら、それは父さんが正気ではなかったからだ、と答えるしかないけど、それでもそれはとても貴重なことに、僕には思えるのだった。

 だから、僕も希望を持つことが出来る。僕はこの列から離脱するつもりはない。父さんの失敗を繰り返す必要はない。ただ、僕はここで希望を持ち続けて、他の人々に希望を分け与えてあげるのだ。運のいいことに、今では誰も希望の本当の力を、なぜそれが非合法なのかを知らないから、僕が希望の種を人の心に植えようとしても、見て見ぬ振りをするだけだ。硬くなった大人の心ではなく、まだ根の張る余地の残った、子どもの心からまず始めよう。都合のいいことに僕のひとつ前にいるホルは、六回目の雨季を越したばかりの男の子だ。僕は彼が生まれたところも、彼の父親が彼の母親に種を植え付けたところも見ている。この子は僕の話をいつも真剣に聞いてくれる。僕の父さんの話を。

 「この行列のずっと先にはここよりもずっといい場所があるんだ」

 「いい場所って、どんなとこ」

 「澄んだ甘い水が地面の上を流れていて、食べられる実がなる木がたくさん生える場所だよ」

 「木ってなに」

 「木ってのは、草の大きいのだ。両腕で抱えきれないくらい大きいんだ」

 「じゃあ、おなかいっぱい食べられるの」

 「もちろんだよ。それどころか………」

 少し身を屈めて、ホルの髪に隠れた耳に言葉を囁いていると、前方でざわめきが起こった。顔を起して見ると、前のほうから人々の列を驚きの波が走ってくる。同じようなことが前から伝言が伝わってくるときにも起こるが、今起こっていることはそれ以上のことだ。こんなことは生まれて初めてだし、父さんもこんな話はしてくれなかった。皆がざわついている。何か前のほう、ここからは地平線の向こう側になって見えないくらい前のほうで何かが起こったのだ。地平線の向こうまで見渡そうと背伸びすると、ずっと前のほうで、何か動きがあるのが見えた。その動きがだんだんこちらのほうに近づいてくる。まさか、列が動くのであろうか。居ても立ってもいられなくなって、生まれて初めて列から外れて、列の横から、何がこちらに向かってくるのか見極めようとした。そして僕はそれを見た。人々は何かを手から手へと受け渡していた。それは取っ手のついた容れ物になみなみと入った貴重なはずの水だった。それを皆、生まれる前から習熟していたように、淀みなく後ろへ後ろへと流していく。ホルはそれを受け取り、後ろへと渡そうとすると、僕がいないことに一瞬戸惑ったが、すぐに気を取り直しその水の容器を、父さんが死んだあと列をつめたエンデおじさんに渡した。そしてそれはまた、滞りなく、元の調子を取り戻して進んでいった。

 僕はその水を追いかけた。僕は始めて列の後ろに向かって進む離脱者になった。離脱者はみんな、列から直角に進んだのだ。中には列の前のほうに向かって進んだ物もいたが、彼らはすぐに配給者たちに捕まってしまった。だけど今は、人々の記憶に全くない椿事にみんな沸き立っていて、誰も僕を止めなかった。

 そして僕は見た。地平線のはるか向こうで、炎々と燃える大きな火の山を。そして、それに比べてはるかにちっぽけな水が、そこに向かって運ばれるのを見ていた。

 そのとき僕は、僕らがどこへもたどり着かないことを理解した。目的地は前ではなく後ろにあったことを。そして、僕らは道の途中にいたわけではなく、ただ単に道の途中そのものに過ぎなかったことを。

解説

バケツリレー! 水よこせー!

10年ぶりくらいに読み直して、一文一文が長すぎて読みにくいな、と書き直している最中に、長い行列の話だから文章も長くしてるのか、と気づいて元に戻した。流石に読みにくところは直したけど。

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