毒の庭
毒、という概念にはある種の魅惑がある。現実に存在する毒は決して美しいものではないし、またその効果も古典的な探偵小説が描くように美しくはないことがおおい。しかし、だからこそ純粋な概念としての毒には、ある種の反世界の香りが付きまとう。そして、反世界の香りなんぞという胡散臭い物に惹かれてしまう人間というのは、この不純な世界に不満を持ち、世界に対する充足不可能な支配欲を持てあました、つまりは大人になり損ねた歪んだ子どもなのであろう。母親を毒殺しようとしていた静岡の少女が中学の卒業文集に尊敬するイギリスの毒殺魔の名前を書いたのも子どもっぽさであろうし、その毒殺魔が自分の使う毒を「小さな友だち」などと呼ぶのも子どもっぽさだし、さらに彼が尊敬していたヴィクトリア朝の毒殺魔が酒場にあらわれるとき自ら「毒殺魔がやってきました」などとぬけぬけというのも子どもっぽい。子どもっぽさを無責任に称揚する人間も多いが、子どもっぽさとは社会を無視して自分の要望や考えを押し付けるやり方であり、そんな人間と一緒に生きていたら殺されかねない。しかし、逆にみると子どもっぽさとは、自分の欲望をひたすら追いかける姿勢であり、芸術や科学などの文化の根底には、そう言う子どもっぽさがやはり流れている。そして、毒という概念が持つ純粋さ、単純さ、コントロールできるという意味での身近さ(ある種の毒殺魔が、犠牲者の様子を実験のようなノートにとってしまうのは、この「コントロールできる喜び」からではなかろうか)は、この「子どもっぽさ」という精神構造に強く作用するのである。
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むかしむかし、嵐のようなアレクサンドロス大王が多くの国を灰燼に帰したあとの、彼の傍迷惑な遺言に端を発する部下同士の殺し合いが何百年と続いた時期を、ドイツ民族の優秀性を疑わなかったある学者が、これまた傍迷惑な長い戦争の発端となった美女にあやかりでもするかのように、「ヘレニズム時代」と名付けました。その戦いは結局、西から来た強大なローマ帝国が、無理やり平和を勃発させるまで続きました。強大な敵がいれば人類は結束できるはずだというオジマンディアスの希望的観測への反例は、彼がそこから学んだ歴史に溢れています。しかし、そんな中でも、ギリシャを父とし、オリエントを母とする、コスモポリタニズム色の強い豊かな文化が、都市を中心に育まれました。それらの成果は、アレクサンドリアの有名な大図書館などに蓄積され、美人か美人ではなかったかが未だに議論の対象になる女王の自死も乗り越えて続きましたが、牡蠣の殻を携えた野蛮なキリスト教徒が破壊と殺戮のかぎりを尽くしたことにより途絶えてしまいます。それでも、その一部はビザンチンからイスラム諸国へと流れ、アルキメデスやエウクレイデスなどの名により歴史に燦然と輝きつづけるのです。
そして、これはその時代の後期、西より忍びよる新興国ローマが少しずつ脅威となりはじめたころの小アジアの、歴史に名も残さなかったある小都市の物語です。
この都市は一応は自分たちの王を持っていましたが、それも周りの列強各国との間に、同盟という名の従属関係を保てているからに過ぎず、もしどこかの王が命令を出しさえすれば、何時でも地図の上から消せるようなものでした。しかし、この王は時流を良く見て、なんとか周りの国々の勢力をこの一点において均衡状態に持って行き、どうにか荒波をやり過ごす事に成功していたのです。風前の灯、という言葉がありますが、暴風雨の中で灯を守るような、気の休まない綱渡りの外交でした。
そんな王にとって心休まる物、それが学問でした。アレクサンドリアやベルガモンのそれには比べるべくもありませんでしたが、それなりの図書館を持ち、当時の最先端の知識を記した貴重なパピルスや羊皮紙を多数所蔵していました。そして各地の知識人や魔術師たちを呼び寄せて、人生、宇宙、そしてすべてに対する答えについて語り合うことも、王が心踊らされるものの一つでした。しかし、王にとって最も心休まること、それは自分で管理する薬草園・毒草園を逍遥することでした。そのときだけ、王は不純な現実世界の権謀策術を忘れられるのです。もちろんこの園も、始まりは毒や薬に通暁することによって、宮廷内の暗殺から逃れるために作った物でした。しかし、ブリテンからインドまでの全世界から集められた様々の珍しい植物を見ていると、王にとってそれらは最も信頼している家臣よりも心のおけない存在になっていくのでした。
そして実際にそこは王にとって最も、いや唯一の安全な場所でもあったのです。なぜならこの園の最深部にある、この世で最も強く純粋な毒を作り出す植物が植えられている場所には、王以外の誰も近寄ることはできなかったからです。円い毒草園の周りを、同心円上に様々な薬草の草木で囲むことによって、外世界に害を及ぼさないようにしたその中に、王は薬草で作った口覆いをして入っていきます。そしてその中心部に設えられた、美しいゴルゴーン三姉妹の大理石像を飾った円い噴水の横のベンチに身を横たえる。もし王のような毒と薬の知識のない物がここに入ろうものなら、一瞬たりとも生きてはいけないのです。しかし、王の目に映る毒の花々の何と純粋で美しいことでしょうか。王はこの菜園の中にいると安心のあまり、このまま死の眠りに身を任せ、ここを出ずにいたいという誘惑に身を焦がされるのでした。歴史上に数多ある美に魅入られた愚王たちのように、現実から目を背け、ひたすら幻想の世界に耽溺することができたらどれほど幸せであろうか。身を蝕む芳しい毒酒に酔いながら濁世からおさらばするには自分は賢すぎるのかもしれない。王はそう考えながら身を起こします。すると目の前の木の枝に鮮やかな色をした毒蛇が絡まっているのが目に入ります。あれは人に禁断の知恵を授けた伝説の蛇であろうか。そう王が思うや否や、鷲ほどの大きさの銅色の嘴を持った緑色の鳥がその蛇を空中から掻っ攫ってしまいました。その鳥も、インドのさらに東の国に住むという猛毒の鳥なのでした。しばらく梢の上で蛇を食らう鳥を見ていた王は、何かを払うように首を数度振ると、もう一度政務に励むために、毒草園をあとにするのでした。それ以上そこにいると、王の調合した薬の力を借りても、瘴気を吸った肺から体が腐っていきかねないのです。
そんなある年の春に、王は同盟を結んでいるある大国から贈り物をもらいます。古代のファラオを葬る壮麗な棺桶のような大理石の箱が王室に運び込まれ、自分たちが帰った後に開くように申しつけて、使者たちはそそくさと王の都市を後にします。その箱の思い蓋をあけると中に入っていたのは裸の少女でした。それはまるで大理石で出来ているのかと見まごうばかりの白い肌で、とても生きている物とは思えませんでした。しかしそれは蓋が開いて箱の内部に光が入るとすぐに、閉じていた瞼を開き、体を起こすと、王に嫣然と微笑みかけました。その目に射抜かれた王は、心臓が数回胸を打つ間、茫然と立ち尽くしていましたが、我に帰ると、垂れ幕を一つ取って、少女の肩を包んでやろうとしました。そして少女の顔に顔を近づけたとき、王の目が驚きに見開かれます。そして部下たちに、絶対にこの女に指一本触れてはいけない、即刻この場から離れるように、と命令して、彼女を連れて、自らの秘密の園へと向かいました。彼女の吐息から香る、あめんどうの実に似た、痺れるような甘酸っぱい匂いは、王にとってなじみ深いものだったからです。王は試しに一本の薔薇の花を彼女の目の前に差出すと、言葉を解さないようだったので、身振りで息を吹きかけるように示しました。女が、はあっ、と静かに息を吹きかけますと、真っ赤な瑞々しい薔薇は赤黒く変色して、たちまち萎びてしまいました。王の予想は当たっていました。彼女は全身猛毒の塊りだったのです。彼女は陰謀のためにつくられた暗殺道具なのです。
恐らくは生まれたときから、毒を少しずつ摂取させ続けて、このような体にしてしまったのでしょう。もちろんそんなことをすれば赤子はたちまち弱って死んでしまいます。そこで、適宜薬を使って、毒に対する抵抗力をつけながら、それは行われたと予想されます。実際、ある種の魚や鳥は自分では毒を作らず、毒の持つ生き物を食べることにより、体内に毒を蓄えます。それができるのは、その毒に対する耐性があるからです。しかし、さすがの王も、そういう話を書物の中で読んだことはあっても、実際にできるのかどうかは分かりませんでした。しかし目の前に、しかも自分に対する刺客として実物を見てしまうと、疑うことはもうできません。そしてこの愛らしい刺客は、自分の目の前で美しい薔薇が一瞬でしおれてしまったのを見て、目を丸くしています。これは王のもう一つの悪い予想を裏付けるものでした。この見たところ十五、六くらいの少女は、自分の役割について何も知らされていないのです。
王は彼女を毒草園の中に閉じ込めることにしました。これによって彼女の毒が外に漏れだすのを防ぎ、また毒に慣れ過ぎた彼女の体が無毒の環境に負担を感じないようにしたのです。王は、一日の決まった時間に彼女に会いに行き、彼女を教育することにしていました。王は今まで以上に薬の調合の技術を研鑽し、できるだけ長い時間毒草園の中にいられるようにいました。それでも、少女とともにいられる時間は限られたものでした。王はまず少女と会話をすることから、始めなければいけませんでした。コイネーもアラム語も通じません。そのほか、ラテン語やヘブライ語、ペルシャ語、さらにはカルデアの占星術師にしか伝わっていないシュメル語という古い言語など。王の知る限りのありとあらゆる言語で話しかけましたが、なかなか良い反応は得られませんでした。しかし、ある時少女が、パンを見て、「ベコス」と言ったことから、彼女の話す言葉が片言のフリギア語であることが分かりました。理解できる唯一の言葉が、話すのも聞くのもあまりに拙かったために、その言葉で話しかけても反応できなかったのです。王は、もしかしたらこの娘は一切言葉の教育を受けていなかったのかもしれないと考えました。片言のフリギア語は恐らく、教えられることなく本能的に喋れるようになったか、もしくは彼女の養育をしたフリギア人の乳母か誰かが命令に背いて教えたのではなかろうか、と。とにもかくにも、これで突破口が開けました。王は少しずつですが、彼女と会話を成立させることができるようになりました。その頃には春は終わり、地中海沿岸独特の、乾燥した暑い夏がやってきていました。庭園に異国から移し替えられた植物や動物はどれも苦しそうでしたが、王の丁寧な世話でどうにか生き伸びていました。しかし、庭園の中心にある美しい噴水のほとりのベンチ、かつては王のお気に入りの場所に、いつも腰かけている少女は、暑い夏もすごしやすく、居心地がよさそうでした。ここで王は彼女に、遠い昔の物語を聞かせることにより、言葉を教えて行きました。美しいゴルゴーン三姉妹がその傲慢ゆえに恐怖で人を石にする場面では、彼女も恐怖のあまり声もあげられないほど固まり、はたまたその恐ろしいメドゥーサの血から美しい赤い珊瑚やさらには気高く雄々しいぺーガソスが生まれる場面では、彼女の瞳も美しく輝きました。彼女もぽつりぽつりと、自分のことについて語りはじめます。ものごころ付いたころから暗い地下室で育ったので、ここみたいな日の光が浴びられる場所はうれしいこと。そこではいつも苦い食べ物しかもらえなかったから、王が与えてくれるあめんどうの実も苦いけど、ずっと美味しいということ。ときどき一度も見たことのない男が連れられてきて、その男相手に、口や手で人を愛する方法を学ばされたこと。精を出し、ことが終わると男はぐったりと動かなくなって運び出され、同じ男は二度と見なかったこと。そして、体の中心にある、念入りに媚薬を塗りこまれた花唇は、これから出会うたった一人の運命の人のために取っておかなくてはいけないと教わったこと、などを訥々と、しかし咲きこぼれるような笑顔で話すのでした。王は決して彼女の話を否定せず、悲しげな笑みを浮かべて聞きつづけるのでした。
やがて太陽が翳りを見せ、夏が終わり、雨が降りはじめ、冬が近いことを知らせます。美しい庭園も霧にけぶり、少女は雨除けの四阿の中で、運命の人と信じて愛する男を物憂く待っていました。たとえ雨が降っていても、王の話す英雄と姫の恋物語を聞けば、こんな物憂さなど吹き飛んでしまいます。しかし最近、王が会いに来てくれない日が多いことがどうしても気になるのでした。それにもまして彼女には、どうして男が自分の体に触れてくれないのか、不思議に思ってました。苛立たしくも思っていました。このままではせっかく学んだ愛の秘法が無駄になってしまう。少女はふといいことを思い付きます。たまには自分から会いに行ってみよう。いつもみたいに男が自分のところにくるのではなく、今日は自分が男のところに行くのだ。彼女には、それがとびきり素敵なことに思えたので、庭園以外の王宮の様子をまったく知らないことを思い当りもせず、王が自ら選んで与えた美しい衣服の裾をからげると、雨の中をお転婆に走り出しました。庭園の小道をしばらく行くと草木の種類が変わることに少女も気付きます。そこで少女は一抹の息苦しさのような物を感じて物怖じしそうになりましたが、勇気をふるって先へ進むと、庭園の外に出る扉がありました。彼女は開けようとしますが鍵が掛かっています。少女は、どうしようか考えながらしばらく押したり引いたりしていました。するとどうでしょう、次第に少女が触れている部分から鉄は赤錆び、木は朽ちていくではありませんか。少女はあまり細かいことを気にする性格でもなかったので、これを幸いに扉をこじ開けて、未知の空間にずんずん進んでいきます。庭園を円周状に囲む廊下を歩いていると、その姿を一人の警護兵が見つけます。宮殿の中を歩く見慣れない少女の姿に、警備兵は思わず走り寄って、肩に手を掛けて話しかけます。
「ここで何をしている」
少女は突然話しかけられて、飛び上がらんばかりに驚きますが、その言葉が愛する男に教えてもらった言葉と一緒なことに気付くと安心し、鈴の鳴るような美しい声で、男に道を問います。
「王様のいるところに行きたいのだけど、どこだか知っていますか?」
しかしそのとき、異変が起こります。彼女の問いに耳を傾けていた男の顔が不意に曇ると、すぐに喉を押さえて苦しみ出したではありませんか。男はそのまま床に倒れ伏してしまいます。さすがの少女もこれには驚き恐れて、悲鳴を上げて、その場から走って逃げてしまいました。その物音に、他の警護兵たちが、がちゃがちゃと音高い鎧と盾に身を守られて、詰所から現場へと走り寄ります。しかし、戦に長けた屈強な男たちも、未成熟の杏のような甘酸っぱい香りに包まれて、次々と死の眠りの闇の中に落ち込んでいきます。事態を理解した警護隊長は、急いで王の調剤室へと向かいます。そこで王は寝る間も惜しんで、少女を普通の体に戻してやるための研究をしていたのです。そのために少女に会う回数も減らさなくてはいけないほどでした。警護隊長が普段は王以外立ち入りを許されない部屋の扉まで辿りついたとき、王は夢のまどろみの中にいました。その夢の中では王は少女と手を取り合って、美しい庭園を歩くことができます。少女と抱き合い、口づけをしあうことすらできます。しかし、いつもその夢が終わるときのように、二人のまわりで庭園は萎え始め枯れ始め、そして最後には赤々と燃えはじめてしまうのです。ところがそのとき、二人の体は溶けあって、まるで水銀のような輝く液体になり、そして燃える草むらから這い出した大蛇が、その二人を守るようにその場を囲んで、自らの尾を飲みこんで円を成す。そこまで夢見たとき、いつも王は現実の世界に引き戻されて、その続きを見ることができないのです。今回王を夢から引きもどしたのは、乱暴に扉を叩く音でした。話を聞いた王は、一切の兵を宮殿の外に避難させると、単身少女を探しに行きました。床に蹲った哀れな犠牲者を横目に、夢見るような彼女の香りを追いかけます。
そのとき少女は、息を切らせて、宮殿の中庭に足を踏み入れようとしていました。少女には先ほど何が起こったのか理解できません。何か恐ろしいことが起こったとしか分からないのがまた怖くて、一刻も早く王のもとへと急ぎたいとも思いますが、彼女は生まれてから走ったことなどありませんでした。それで息が上がってしまい、休憩する場所を探していたところに目に入って来たのが、綺麗なサフランなどが咲いている綺麗な花壇だったのです。彼女は息を整えるためにそこで一休みしようと中に入って行きました。そこに生えているのは、この半年間彼女が親しんできたものとは種類が違う植物ばかりでした。彼女は最初、今まで見たことのなかったそれらの草花の見た目や香りを親しんでいましたが、すぐに息を飲まなければいけなくなります。今まで瑞々しかった草花が、次第に茶色く変色し、萎れていくのです。そしてそれが自分を中心に同心円状に広がっていくことにも、彼女は気付きました。彼女は怖ろしさに身を竦ませ、声をあげることもできません。そのとき、草むらを踏み分ける足音が聞こえてきます。息をすることも忘れた様で振り返ると、そこに立っていたのは、声さえ出す事ができたらその名を読んでいたであろう、愛する男その人でした。彼は眼前で起きていることを厳しい面持ちで見ており、さすがの王も身の戦慄を隠せない様子でした。しかし、世界でたった一人頼りにしている人に会えた安心感から、そんな王の様子に気付くこともなく、王に掛け寄り、本能的にその胸に顔をうずめようとしました。それに王は驚いて、思わず後ずさりしてしまったのです。そして、そのとき王の顔に浮かんだ恐怖の表情を見て、純真な少女はようやく、自分の身のまわりに起こった怖ろしい異変の原因に思い当ってしまったのです。
例年より冷える冬がやってきました。真実を知った少女は部屋にこもってしまい、王が会いに行っても出てこようとはしませんでした。この一年で王の教育により深い教養を得ていた彼女は、どうして王が自分に触れてくれないかを理解したのと同時に、そもそも自分が何のために王のもとに送られてきたのか、自分が生まれてから学び続けたのが、なんのための技術だったのかも理解してしまったのです。自分にとって世界同然である男を殺すための道具にすぎない女が、どのような顔をあわせることができましょうか。王の方でも、彼女のための研究が行き詰まり、どうにもならなくなっていました。最後には自らの体を実験台にして、あらゆる秘薬を試してみましたが、少女を救う方法を見つけることはできません。そして、王がその治世において、始めて私事にかまけていると言ってよいこの時期を狙いすましたかのように、外敵が彼の都市を狙おうとしていたのです。実は、猛毒の送り物をしたのにいつまでたっても死なないことに業を煮やしての強引な横紙破りに過ぎなかったのですが、その贈り物が思わぬ形で王の精神に作用し、隙を作り出していたのです。外交力が使えなければ、小国の軍勢では数に勝る兵力を支えきれません。町は包囲され、市民の平和な生活も、宮廷の文化的な繁栄も、今にも凶暴な戦火に舐め尽くされようとしていました。王は懸命に数少ない兵を動かして防衛の努力をしましたが、善戦かなわず、築き上げた町が蹂躙されるのを見ているほかありませんでした。そして、とうとう宮廷の門が破られ、イオニア式の白い柱が生温かい血で汚され始めたとき、彼が向かったのはあの薬草園に取り囲まれた毒草園でした。
空は薄暗く、雪がぱらついていました。まだこの庭には誰も踏みこんでは来ていませんでした。しかし、兵の怒号と断末魔の叫びはここにも聞こえてきます。王は確信を持って、この円形の庭園の中心、あの美しい噴水の横のベンチへと向かいました。その思い出の場所に、愛する女が待っている筈だからです。果たして彼女はそこに座って待っていました。彼女も終わりの時が来たのを知っていたのです。そして約束を交わしたわけでもないのに、最期の時は二人でここにいるのだということが、彼女にも分かったのです。彼女は静かに王に訊きました。
「私の穢れた血からでも、何かが生まれることがありうるのでしょうか?」
王は笑ってこう答えます。
「生まれるともさ。美しい赤い珊瑚であろうが、気高く雄々しいペガーソスであろうが」
王はそう言うと、彼女に向かって両手を広げます。彼女はそれを見て、その意味を理解すると、両の瞳から猛毒の涙を溢れださせながら、始めてその胸に身を投げ出しました。王はその小さな致死性の体を両腕でひしと抱きしめます。そうしてお互いの髪に顔を埋め合ったあと、王は少女に優しく口づけをします。王は敵兵に身を辱められるなら、少女の手に掛かって死ぬことを選んだのです。王はかつてこの庭で夢見た、甘美な深い眠りへと引きずり込まれていきます。王の体から力が抜けます。そのとき、毒の少女もまた、同じ夢を見ながら死んでいきます。王の体には、実験で使われた大量の薬が残っており、毒の生命を持つ彼女には、解毒剤は逆に死として作用したのです。こうして雪が舞う中二人は眠るように美しい毒草園の真ん中で死んでいきました。庭園の周囲を取り囲んだ敵軍も、それを遠巻きに見ているほかありません。なぜなら猛毒の園の中に入っていける人は誰もいないからです。見るに見かねた敵の隊長が庭園に火を放つことを命令します。こうして安らかに眠る二人の死体は火に包まれました。それを見ていた兵たちの中には、彼らの体が溶けて一つに交りあって王の緋衣を着て金の王冠をかむった子どもが現れただの、彼らを巨大な蛇や竜だのが火の中から出てきて彼らを囲んで守っただの、炎の中から一羽の鳥が飛び立っただのという証言をする者もありましたが、それらは炎が見せた幻影か、幻覚性の煙に当てられたのでしょう。その火は宮殿の様々な部分に燃えうつり、貴重なパピルスや羊皮紙を舐め尽くし、猛毒の灰は雪に交って破壊しつくされた街の上に振りかかります。そしてその周りの土地では、何十年も作物が育たなかったと言います。
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毒と薬、という概念の魅力の一つはその対称性からくる単純さである。これが、世界を単純に理解したいという、我々の奥底に眠る子どもっぽい精神には強い魅力を持つのだ。そして、毒が使い方を守ればときに薬となり、薬を乱用すれば毒になるという事実は、一見この世界の微妙で容易には捉え難い様相を表しているようで、子どもっぽい精神には受け付けないように思えるが、決してそうではなく、これは反対物の一致という意味で、都合のいい時だけ非論理的になれる子どもっぽさの大好物となるのだ。そしてこれこそ、子どもっぽい錬金術師たちが求め続けたものであり、彼らが、彼らにとって宇宙であり子宮でもある、円いフラスコの中で実現しようとして最後まで成せなかった化学の結婚、原初のヘルマプロディートスであるのだ。
しかし、私たちがこのうすら寒い現実を生きていくために忘れてはいけないことは、この子どもっぽい精神に強く働きかけるいくつかのイメージというのが、稚拙な夢物語に過ぎないということだ。だから、あまりそれに耽溺すると日常生活に支障をきたす。ただ、逆のことも言える。我々の心には確かにそういう子どもっぽい、不謹慎な部分があるのであり、そして文化を芸術や科学の力で発展させてきた力の発信源は、そういう部分でもあるのだ。だから、我々はそういう部分を無視するのではなく、ないことにしてしまうのではなく、せめて何か美しい庭のようなところに囲って、上手く管理してやらなくてはいけないということだ。
つまりは、用法用量を守れ、ということで、こう言うとひどく当たり前でつまらないことを書き続けてしまったような気がしてくるが、良薬が口に苦いように、耳に苦い言葉もときには必要なのだ。