魚には死後の生命があり、釣られた後も成長し続ける
1時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
3日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
8日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。(中国の諺)
とある山の中、男が渓流釣りをしている。彼の前に流れる川はかなり急だが、水はきれいそうだ。魚だっていないことはないだろう。だが、彼の横に置いてあるバケツには、水と、あと小魚のみ。本来なら設置してある釣竿や、そこから垂れた釣り糸に注がれるべき視線が、宙をさまよっているところから判断すると、随分と長いことこの状態が続いているらしい。あくびをひとつ。
その後ろから男が近づいてくる。登山をしていて、近くを通ったのであろうか。男のバケツをのぞいて、
「釣れますか?」
と訊く。釣り人は不機嫌そうに答える。
「見りゃわかるでしょう」
登山客はもう一度バケツの中をのぞく。
「あんまり釣れてないように見えますが………」
(ちっ、いやみなやつだな)
と小声で釣り人はつぶやいたが、釣れてないのは本当なので反論ができないようだ。
釣り人は大きめの岩に座り込んでいて、登山客はその後ろに立ち、流れを眺めている。その状態がしばらく続いた。すると突然登山客が、釣り人の耳元で、他に誰かがいるわけでもないのに、秘密めかして囁いた。
「大物を釣らしてあげましょうか?」
「ハァッ??」
思わず素っ頓狂な声が出てしまったようだ。この男いったい何を言っているのだ。
「どうでしょうか。悪い話ではないと思いますが?」
釣り人は、最初はふざけているのかとも思ったが、この男の顔を見ているうちに、もしかしたら真面目も真面目、大真面目なのではないかと、だんだん不安になってきた。
一体この男何者だ。大物を釣らす、なんてどうやって? 釣りの達人か何かなのか? その割には道具も何も持ってはいないようだが……… 大体、達人だって毎回大物が釣れるわけでもあるまい。それじゃあ、なんだろう、大物が釣れることを保障できるような人物って。たとえばこの川の精霊か何かとか。ああ、そうか、さっき持って帰って捨ててやろうと、転がってた空き缶をビニール袋に入れてたのを、この川の精霊が見ていて、恩返しに来たのかもしれない。でも、いまどき清掃登山のボランティアも珍しくなくなったし、それくらいで恩返ししてくれるかな? じゃあ、もしかして、こいつは悪魔の類かもしれない。大物を釣らしてやる代わりにこの契約書に血でサインしろ、さすればお前の魂は私のものだ、ハーハッハッハッハ………って釣りくらいで魂を売るやつなんているのかな? いるかもしれないけど、とりあえず俺は違うしなぁ。じゃあ、じゃあさ、一体全体こいつは結局何者なわけよ? ああ、ただ単に穴場を知っているってだけかも知れんな。
というようなことを釣り人は約三秒で考えた。そして最後には興味もあって、どうやって大物を釣らしてくれるのか、お手並みを拝見しようということを決心したであった。
「じゃあ、釣らしてみせてくださいよ」
するとその登山客は、背負っていた荷物を降ろすと、釣り人の横に立って、川の流れを覗き込んだ。そして、深呼吸すると、ザブンと音を立てて、川に飛び込んでしまった。
おいおい何をするんだと思って、釣り人が立ち上がると、釣り糸が引いている。しかもとてつもない大物だ。設置してある竿が持っていかれそうになったので、急いで両手に持って、引っ張る。スピニングリールが回りきってしまう前に、右手で止めようとするが、すごい力だ。釣り人が全体重を後ろに乗せて引っ張ると、怪力の正体が、水中から姿を現した。さっきの男だ。
男は、水をいくらか飲んでしまって苦しそうな風で、息も絶え絶えになりながら、叫んだ。
「どうです、1.7メートル急の超大物ですよ! こんな代物はめったにお目にかかれませんよ。ここで逃したらゴボボボ………ブガッ、一生出会えないかもしれません」
釣り人は、獲物の立派さに一気に吊り上げるのをあきらめ、しばらく様子を見て、相手の体力がなくなるのを待つ戦術を選んだ。リールをうまく調節しながら、相手の力をいなし続ける。
「釣りは、ゴバッ、魚との知恵比べともいいます、ゴボボボグブルブ、私はいっぺんでいいから、つられる側になってみたかったのです!」
徐々にではあるが、釣り人は相手を引き寄せることに成功する。リールを巻き上げようとしてみると、先ほどよりは抵抗が少なくなっている。だんだん参ってきているようだ。先ほどの戦略が功を奏しているのだ。この調子なら、あれを吊り上げて、魚拓をとって、剥製にして、釣り仲間に自慢するのも夢じゃない。
「さあ、勝負だ、この川の主よ! おたがい乾坤一擲を賭して、最後の力まで振り絞ろうではないか。息子たちよ! お前たちの父は今最高に輝いている。この姿をお前たちや美佐子にも見せてやりたかった。今日の夕御飯を楽しみにしていろ!!」
川の主(?)は最後の力を振り絞って、抵抗した。一度は勝てると思った釣り人も、思わずバランスを崩し、川に引きずり込まれそうになる。足がバケツにあたり、水がこぼれ小魚が逃げてしまう。しかし今はそんなことに気をとられている場合ではない。あんな雑魚一匹どうでもよいし、どうせこいつはバケツには入りきらない。尻餅をつきそうになったが、そこから体勢を立て直し、一世一代の力を出して、竿を引っ張り上げる。リールを力いっぱい回す。流れ落ちる汗、飛び散る川の雫。きらきらと太陽の光が反射する。
相手の全体像が見えてくる。もうすぐ手が届きそうだ。
「どうやら、私の負けのようですな、釣り人よ」
「いやいや、なかなかの勝負だったぞ、川の主よ」
勝負の中ではぐくんだ熱い友情。お互いにどちらからともなく差し出す右手。美しい握手が交わされる、と思った瞬間、
ブチッ
「あっ!」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!」
最後の最後で糸が千切れてしまい、せっかくの獲物が急流によって流されていってしまった。しばらくは浮いたり沈んだりを繰り返していたのだが、川の中ほどにある、大きな岩にぶつかった後は水面の下に隠れて見えなくなってしまった。
釣り人は帰る準備をしはじめた。しかし、その表情は明るい。一匹も収穫がなかったにもかかわらず、満足そうだ。口先だけは惜しそうにこうつぶやいた。
「おしかったなぁ、すごい大物だったのになぁ、あれはどう見たって2メートルはあったね」
1日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。
1週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。
1ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい。
1年間幸せでいたかったら、新しい家を建てなさい。
もし、一生幸せでいたかったら釣りを覚えなさい。(イギリスの諺)