Planetes Planetarium
誰が最初に彼のことを「プラネタリウム」と呼びはじめたのか、ずいぶん調べたが結局分からなかった。ある人は別の人がそう呼んでいたからと言い、その人はまた別の人がそう呼んでいたからと言い、そうやって遡っていくのだが、結局途中で「みんながそう呼んでいた」とか「誰かが呼んでいたような気がする。誰かは覚えてないけど」などと言うように途切れてしまう。ひどい時など、証言がループを描いてくるりと回ってしまった。同じ人間に二回インタビューしようとしてようやく気付いたのは相当お間抜けな話だ。
結局誰が言い始めたのかも分からなかったので、当然そのあだ名の正確な由来も分からぬままである。多くの人は彼が星に詳しく、多くの星座の名前をそらで言えたからだ、と考えているようだった。私も最初のうちはそうだった。しかし、彼のより早い時期の知り合いへとさかのぼるにつれ、真相は逆であることに気付かされた。星に詳しいから「プラネタリウム」というあだ名が付いたのではなく、「プラネタリウム」というあだ名を持つがゆえに彼は星に興味を持ち、結果的に詳しくなっていったのだ。それではますます彼が「プラネタリウム」と呼ばれる理由が分からなくなる。どうして彼の友人たちは誰もそのことに疑問を持たなかったのであろうか? 彼が「プラネタリウム」と呼ばれるのがあまりにも自然だったからか?
結論を言ってしまえば、彼は確かに「プラネタリウム」だった。「プラネタリウム」を「プラネタリウム」と呼ぶのに、理由などいらない。ただ「彼はプラネタリウムだ」と言うだけで充分だ。
しかし彼らがそのことを知っていたとは思えない。特に彼自身は死ぬまでそのことを知らなかったはずだ。
彼が死んだのは夜散歩しているときだったらしい。もしかしたら何かの歌にでも影響されたのかもしれない。彼の散歩ルートがプラネタリウムの主な機能である、どこか北極星的地点を中心とした恒星的軌道だったのか、それともその恒星の中を彷徨う(プラネットと言う言葉の本来の意味により忠実な)惑星的軌道だったのかは、今となっては知りようもない。これまた目撃証言を求めてずいぶん付近住民に聞きこみを行ったのだが。
その途中で何かがあった。その何かは専門家の私にも今持って良く分かっていない。分かっていることは、翌朝路上で倒れている彼が見つかったこと。発見者により救急車で病院に運ばれたが、もうそのときには死んでから数時間が立っていたこと、そして一切の外傷はなかったということ。
持病もなく轢き逃げなどの形跡もないこの謎の突然死をした男は、警察によって司法解剖にまわされることとなる。それと並行して行われていた事情聴取では、ほとんど意味のあることは明らかにならなかった。ほとんどの知り合いが、単なる顔見知り以上ではなく、この男がどうやって食っていたのかすら不確かな情報しか得られなかった。そんな中から、解剖の執刀医の脳裏になぜか残った情報、それがこの男のあだ名、「プラネタリウム」だった。あだ名の理由に満足な答えが得られていないことが、妙に引っ掛かったのかもしれない。
死体解剖の結果でも、結局死因は不明。ただしこれは必ずしも珍しいことではないから良い。事件性がないことだけ分かれば、警察としてはなんの問題もないのだ。
ただ執刀医は見た全てを報告したわけではなかった。と言うよりも、どう報告すれば良いのか分からないものを見てしまったのだ。
それは頭蓋骨の表面に空いた無数の穴だった。本当によく見ないと気付かないような小さな穴だったが、よく見るのが仕事ゆえ見落とすようなことはなかった。そして、この病変が死亡の原因なのだろうか、と当然考えた。しかし、その穴は骨の異常で出来たにしては、あまりにも綺麗に頭蓋骨の断面を貫通しており、人工的な作為を感じさせるものだった。また頭骨の一部を切って内部の脳を調べても、なんの異常も見つからなかった。そして切り取った骨片の裏側を見た時に、執刀医は「プラネタリウム」の意味を初めて理解する。恐らくは彼がその意味を理解した初めての人間なのだ。
そこには頭蓋骨の外側から見えた穴を繋ぐように線が描かれていた。その線を見た時、彼は、頭蓋骨の半球をを全て切り離すことにした。そこになにがあるかはすでに知っていたのだが、やはりその目で見なければとても信じられなかった。
しかし信じられなかろうがそれはそこにあった。星の知識の特になかった執刀医にもそれが何か分かった。それは星座だった。頭蓋骨の裏側に幾つも空いている穴から光が差し込んできて星を成し、その星が線で結ばれて星座ができていた。ここから先はあとで気付いたことなのだが、1等星から6等星まで実は穴の大きさも変えられていたのだ。
執刀医は結局、報告書において「頭蓋骨に無数の微小な穴及び線上のへこみ。原因及び死因との関係は不明」としか書かなかった。警察としてもそれでなんの問題もなかった。こうしてこの変死事件は忘れられようとしていた。
しかし、執刀医当人にだけは、忘れることができなかった。忘れようと努力はした。酒量も、睡眠薬の服用量も増えた。何か趣味に没頭してみようともした。小説を書いてみようとすらした。
しかしすべては無駄な抵抗に過ぎなかった。仕事中に心ここにあらずと言った状態になってしまうこともしばしばだった。
そして彼は調査を開始する。執刀医の権限や警察へのコネを使って本来はアクセスできない情報も見た。アクセスできない理由は単なるプライバシー保護とかそういう瑣末な理由に過ぎず、実際たいしたことは何も書かれていなかったが。しかしそれでも、その後の個人的な聞き込み調査を始めるにあたっての準備を省略出来たのはありがたかった。
その調査で分かったこと。それは、誰も何も知らない、ということだけだった。だが、それを知ったときに心に去来した感情は、「やはりそうか」というものだった。心のどこかで予想していたのだ。この自分が、頭蓋骨の裏側、彼本人でも見ることのかなわぬ彼の内部からの光景を見たこの自分こそが、ことの真相に一番近く、それゆえに真実を探し続ける義務を背負っているのだ、という確信があったのだ。
頭蓋骨に絵を描く男の話がイタリアの小説家ボンテンぺルリの短編にあったはずだ。そして自分の頭蓋骨を取り出してそれに絵を描いたのだ。その男でも、頭蓋骨の内側に星図を描くなどという馬鹿げたことはしなかったであろう。絵は誰かが見るために描くのである。そんなところに描いて誰が見るのか。脳であろうか。脳の中、カルテシアン劇場に住むと言う小人であろうか。
そもそもこの男に脳手術の後はない。多分、この男は生まれつきプラネタリウム人間だったのだ。
彼は仕事を止め、貯金を使って旅に出る準備を始める。ここで調べられることは全て調べ尽くした。しかし、この世界にはまだ何らかの真実への糸口があるはずだ。この男の頭蓋内腔に描かれた星図は天の北半球のみである。ということは最低でもあと一人、同じようなプラネタリウム人間がこの地球上にいることになる。恐らく南半球に住んでいる、その人物を探さなければ。それによって初めて「プラネタリウム」は完成する。そのときなにが起こるのかは誰も知らない。これから知るのだ。
彼は今、机の上にプラスチックの人工骨とすり替えて盗んできたあの星図が描かれた頭蓋骨の半球を置き、これまで調査してきたことのまとめと、それに関する大雑把な説明を書いている。キーボードを叩きながらも彼はなんだか夢を見ているようである。まるで自分ではない誰かがこれまで動いてこの調査をまとめ、そして今ディスプレイを見つめながらこの文章を書いている、そんなような気分だ。だからなのであろう。この文章は自分のことを三人称で書く奇妙な物となり、まるで彼が趣味を作るために書こうとしていた小説のようですらある。
これが書き終わったら、これを何人かの友人に預けて旅に出よう。そうだ。冗談として、あまり人目に付かないインターネット上の小説投稿板に載せてもいいかもしれない。素人の作品にしてはよく出来ているほうだと思ってくれるかもしれないではないか。