404号室の怪
その日、あたしはとにかくカラオケに行きたい気分だったのだ。しかもオールで。ストレスがたまるととにかく大きな声で歌いたくなる。しかし肝心の一緒にカラオケに行く友達がいない。しかたないから、一人で行くことにした。
手続きを済ませて部屋番号の印刷された札をもらう。404号室だ。別にあたしは迷信深い質じゃないけど、なぜか「死・霊・死」という言葉が浮かんだ。
いろいろな音楽や歌声が混ざり合って喧しいことこの上ない廊下を歩いて、部屋に向かう。どうもカラオケの廊下というのは、狭くて、むやみに曲がって時々円を描き、しかもどの曲がり角もやたらそっくりで、方向感覚を失わせる。連番になっているはずの部屋番号だけが頼りだ。曲がり角に張り付けられた表示を見ながら、407、406、405、あった404。
中はいい感じに手狭。一人でソファにだらしなく横になったり、机に脚ぶつけながら踊ったりするにはちょうどいい。まずは何を入れよう。夜は長い。待たせている人もいない。ゆっくりじっくり決められる。おっとその前にフリードリンクを取りに行こう。カラオケでは調子に乗って糖分を取りすぎてしまうのが罠だ。烏龍茶にしておこう。
ゲスの極み乙女。とサンホラと筋肉少女帯で夜が更けていく。多人数で来るのはそれはそれで楽しいけど、例えば濃くない友達だと歌いにくい曲というのもある。アニソンやボカロはNGっぽい雰囲気、根暗だったり反社会的だったりするのは引かれそうな雰囲気、そもそも誰でも知っている曲以外は受け入れてもらえそうにない雰囲気、いろいろある。そこまでいかなくても、好きなんだけど歌ったことない曲や外国語の難しい曲をいきなり人前で歌うのはハードルが高く、そんな曲でも一人だったら気軽に練習できる。しかも、何度でも。
楽しくなって大声を張り上げ歌いまくった。時間なんかいつ忘れてしまったか分からなくなるくらい忘れた。何回もフリードリンクとの間を行き来し、水の飲みすぎでトイレにも何回も行った。
深夜まで起きているとだんだんと妙な気分になってくる。酒が入っているわけでもないのに、酔っ払っているような。世界が自分を中心にくるくる回り始め、まっすぐに歩けなくなるような。フリードリンクやトイレから部屋に帰るときに、間違った角を曲がって、輪っかになった通路をくるくる回る回数が増える。思わず間違った部屋のドアを開けてしまったり、部屋を間違えたと思ったら正しい部屋だったりすることも増える。正しい廊下を歩いているつもりが間違った廊下を歩いていて、間違った廊下を歩いているつもりが正しい廊下を歩いてたりする。
歌を歌っている最中に、この部屋が正しい部屋なのか急に不安になる。外に出て確認すると確かに404号室。でも、次の曲を歌っている最中にまた気になる。この404号室は自分が最初に入った404号室と本当に同じなの?
もう暢気に歌っている気分ではなかった。部屋を飛び出し、廊下を目的もなく歩き回る。
数字がちゃんと順番になっていない気がする。それどころか、まっすぐ歩いているつもりなのに同じ番号にまた出会う。何回も同じ廊下を通っている気がし始め、何回も同じ人とすれ違っていることが気になって気になって仕方なくなり始める。狭いフロアに一晩中同じメンバーが閉じ込められてるんだから当たり前だ、と自分に言い聞かせても、俯き気味で歩く男の顔はまるで顔がないみたいだ。彼はいったいどの部屋で歌っているのだろうか。他の部屋にはどんな人がいるのだろうか。何を歌っているのだろうか。なぜさっきから同じ人とばかりすれ違うのか。この人以外の人はどこにいってしまったのだろうか。この人はどうして廊下をさっきからうろうろしているのか。あたしみたいに。
あたしはどこからこのフロアに登ってきたんだっけ。さっきからフロア中をうろうろしているけれど、階段もエレベータもどこにも見当たらない。どの部屋も誰もいないのはなんでなんだろう。あてずっぽうで部屋に飛び込んでもそこは無人。部屋番号を確認すると404号室。何の曲も入っていないカラオケは新曲の宣伝を誰も見ていないのにむなしく流し続ける。部屋の中と外を見比べる。部屋の中は薄暗い。部屋の外の廊下は、どこにも影がないくらい明るい。目がちらつく。かすむ視界の中で、居並ぶ部屋の数字はでたらめな番号になる。しかしドアを開けた瞬間それはすべて404になる。どこにも誰もいない。歌声だけが響く。がなり立てる声、甲高く伸びあがっていく声、囁くような声、声声声。でもどこにも歌っている姿はない。誰がどこで歌っているのか。姿を見せてほしい。ドアの隙間から覗こうにも、中が暗くて明るい廊下からでは真っ暗闇しか見えない。開けた瞬間中はもぬけの殻になる。でも開ける寸前まで、そこに誰かがいたはずだ。
誰が?
耳鳴りがする。ガンガン頭痛がする。急にすべての音があたしに迫ってくる。音が波のようにあたしの上で崩れて降ってくる。世界中に存在するありとあらゆる曲が歌が、粉々に砕けて混ざり合い、雑音になって、あたしの全身を犯していく。
あたしは目をつぶって、耳を抑えてうずくまる。そうすればきっと少しは楽になるかと思ったのだ。でも外部から襲ってくる音が少し止んだ時、何かが聞こえた気がした。
もしかしたらずっと聞こえてきたのに、周りの爆音で築かなかったかすかな音。声? 人の声?
呼んでる? あたしを呼んでる?
どこで?
その声が聞こえてくるのは、耳の奥の鼓膜のすぐ内側だった。そして、つぶった瞼の裏にあの顔のない顔がだんだんと浮かび上がり、目を開けることも瞑り続けることもできなくなって、
キヤーーーーーーーーーーー!!!!!!!
あたしは絶叫した。
「大丈夫ですか?」
それはカラオケの店員さんだった。彼女はあたしが廊下の片隅の隅にうずくまるあたしの姿を見て、心配になって声をかけたのだ。そしたら大きな声で悲鳴を上げるものだから、店員さんも死ぬほどびっくりしたにちがいない。
彼女は普通じゃない状態のあたしを見て、店員の控室に連れて行ってくれた。なんせ、汗だくでがたがた震えていたのだ。顔も真っ青だったと思う。
しばらくあったかいココアをすすって、ようやく落ち着いてきた。店員さんに心配そうに何が起きたのか聞かれたが、うまく説明できる自信がなかったので、体の調子が急に悪くなってとかごまかして、黙っていることにした。
「ええっと、何号室でしたっけ?」
朝まで仮眠室で寝ていい、ということになって、荷物を取りに行ってくれるという店員さんがそう聞いた。
「404号室です」
そう言ったあたしに怪訝そうな目をよこす店員さん。そんなはずはないという。そしてカウンターの端末を操作して、あたしに割り振られたのは405号室だといい始める。
そんなはずはない、とあたしも主張するのだが、彼女があたしの荷物を取りに行って帰ってきてもまだ、確かにこの荷物は405号室にあったと主張するのを聞いて、あたしはまた混乱し始める。また世界がぐらぐら揺れ始め、体中の筋肉が綿で出来ているみたいな気分になる。
そんなに疑問に思うなら見に行きますかと彼女は言うが、とてもそんな気分になれないとあたしは断った。そんなあたしを見て、彼女はそれならと端末を操作し始めた。
キーボードを叩きながら彼女が言うには、数年前に店舗全体を改装したときに404号室は作らなかったのだそうだ。403号室の次は405号室で、その間には何もない。
なぜ、404号室が欠番になったのか。それにはいろんな噂があるが、確かなことは自分は何も知らないし、知っている人というのも聞いたことがない、ということだけ彼女は教えてくれて、最後に端末の画面をあたしに指し示した。
そこにはただ、
「404 Not Found」
とだけ表示されていた。