淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Long Live The New Flesh

見つめ返してくる深淵

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見つめ返してくる深淵

 どうして私が、ここ鳥取砂丘でひたすら、穴を掘ってはそれを埋め、穴を掘ってはそれを埋め、を繰り返しているかを知りたければ、続きを読んでくれればいい。知りたくなければ、読まないことだ。あらかじめ断っておくが、この話に意味とか意図とかそういった類のものを求められても困る。なぜ、みなにこんな話をするのか自分でもわからない。理由なんかないのだろう。つまり、この話にはほとんど意味はない。ほとんどない、と言い切っていいはずだ。もしこの話に何か意味に似たものが含まれているとしたら、それは残りかすに過ぎない。

 

 小学生のころ、私は今よりさらに野生の猿に近かった。人間的な上下関係よりも、動物的な力関係に敏感であり、自分より強いものには、服従はしなくとも敬して遠ざけ、自分より弱いものには、進んでやるというわけではなくとも機会さえ与えられればいたぶり楽しんだ。その場の空気を読み、今誰に従うべきなのかを一生懸命判断しようとし、目をつけられないようビクビクし、どうにか群集に紛れ込もうと右往左往した。

 人間は自分が多数派であることに安心を感じる。人は群れて、グループを作り、そこからあぶれたものは、彼らは彼らで小グループを作って自らが多数派であるような場所を確保する。そして、スケープゴートを捜し求める。

 自分がグループと一体であることを、最も実感できる時とはどんなときであろうか。それは、外部の者をみなで攻撃するときである。そのために、われわれは時宜に応じて外部を作り出す必要があった。生贄は適当に選ばれることもあったし、生贄に適当であると、みなの意見が一致していた人物たちもいた。

 山井もそんな人物の一人だった。

 山井は知恵遅れだった。特別クラスに入れられなかったところを見ると、親はそうは思っていなかったのかもしれない。親がどう思っているかはともかく、どう見たって知恵遅れは知恵遅れだ。言葉が喋れることは確認済みだが、ほとんど喋らない。いつも何かにびっくりしているような顔をしている。目の前を誰かが通ったりすると、その後を目で追う。ふと、気がつくと、こちらのほうを目を丸くして見つめていることもある。何を見てるんだ! と声を張り上げても、さらに顔をこわばらせ、黙り込んでしまうだけだ。あの目に見つめられると、神経を逆なでされるし、やめさせることもできない。

 物を見つめていないときは何をしているかというと、何を見つめているのかわからないのである。猫背になって机を見つめて、にへらにへらしているときもあったし、鉛筆を転がすのを何十分も続けていることもあった。

 山井を仲間に入れようとするものがいなかったのは、半ば仕方のないことであった。山井は違っていたのだった。

 今考えると、山井が他人を見つめてしまうのは、他人が怖かったのかもしれない。山井にとって、世界は理解不能だった。山井に何かを理解する能力がなかったのだから仕方がない。山井にとって、この世界で起こることは、すべてが唐突で予測不可能で無意味だったのだろう。そのような世界は恐怖でしかあるまい。そのような世界に、母の庇護もなく投げ出された者の、防御反応があの沈黙であり、あの自閉であり、あの凝視であったのかもしれない。そう考えてみると、あの目つきは道端で突然出会った野良猫のそれに似ていなくもない。

 われわれは山井を遠ざけた。近寄らないようにした。冗談の種にした。物を投げたりもした。だが、今思い出してみると、直接的な暴力(たとえば、一時期私がその標的となったような暴力)はそれほど振るわれなかったことに気づく。なぜだろう。

 それはわれわれも、山井が怖かったからだ。ほかの人の行動なら、大体の予想がつく。予想がついて、傾向と対策がつけられるものはそれほど怖くない。手のつけられない乱暴物や、ちょっとしたことですぐにキレてしまうやつも、扱い方を間違えなければ、何とかやっていける。しかし山井はそうではなかった。山井のその目が、世界に何の意味も見出せなかったのと同じように、われわれも、山井のその眼に何かを見出すことはできなかった。お互い目が合ったとしても、それは何の了解も生み出せない。

 そこには深淵があった。それが怖かった。何しろただの深淵ではなく、見つめ返してくる深淵だったのだ。

 そろそろ私の話もしなければいけないだろう。ただはっきりいって、私の話はそんなに面白くない。

 私は、自分が決してクラスになじんでいないことをいつも気にかけていたので、何とか目立たないようにしようと思っていた。標的にされないように、いじめっ子たちとも、付き合おうと努力した。ただ、どうしてもある種の居心地の悪さ、自分がなじんでいないという感触を払拭することはできなかった。

 私はそのころ、内田、高野、というどちらかといえばやんちゃな二人と、三人で行動していた。特に性質が悪かったのはこの内田という男で、私も蹴られたり、階段から突き落とされたりした。私はこの男をひそかに軽蔑していた。しかし、わたしはそんな様子は微塵も見せることはなく、この二人のちゃちな悪事に加担して続けた。

 悪事といったって、やることは万引き、偽造テレフォンカード、ゲーセンに入り浸る、ピンポンダッシュ、とまあ、そんなところである。内田も高野も実に楽しそうであった。私も楽しそうな振りをした。しかしその実何が楽しそうのかまったく分からなかった。万引きといったって、何か欲しいものがあるわけでもない。万引きの標的となっていた近所の駄菓子屋で売っている、甘さ、塩辛さ、酸っぱさ、等一種類の味しかしない菓子の何がおいしいのかまったく分からなかった。電話がかかってくるのすらわずらわしいのに、なぜ偽造までしてこちらからかけねばならないのか。ゲームセンターの騒音は、脳を破壊しかねなく思われ、やつらがいなかったら一生足を踏み入れなかっただろう。ピンポンダッシュだって、みんながやっているからやっていただけで、あいつらだって何が楽しいのか分からなかったのではなかろうか。

 この三人の間でも、山井は当然のごとく嘲りの格好の対象となった。どうしようもなく愚昧なこと、並外れて滑稽なこと、人並みはずれてナンセンスなことを「それってヤマイじゃん」という風に表現した。山井に触れると、「ヤマイ菌がうつる」という設定をつくり、触られると大騒ぎした。何らかの事故により、触ってしまった人は、他人に触り、ヤマイ菌を人になすりつけねばならなかった。山井はその騒ぎを見ながら、ポカンとしていた。自分が原因だとは思わなかったのだろう。山井の帰り道に待ち伏せし、上から、水を入れたビニール袋をぶつけたこともある。その水にその日の図画の時間の、絵の具を溶いた水を使うことを考えたのは私だった。突然冷や水を浴びせかけられ、山井は魂消てその場に立ち尽くしてしまっていた。泣きもしない、よく考えたらあいつが泣いたところを見たことがないが。自分に何が起こったのか理解できないのだろう。私たちは走ってその場から逃げた。私はそのとき、物音に驚いて、山井がこちらを見たと思った。見られた、と思った。さすがにこのことは、次の日の学校で問題になって、犯人探しが始まった。私は、てっきり山井が私たちのことを証言するだろうと思っていたのだが、ということは、彼は何も言わなかったことになる。山井の母親は、仕返しが怖くていえないんじゃないかと考えていたようだが、私は単に説明ができなかったのだと思っている。落ちてきた水と走り去る私たちとの、因果論的つながりを発見できなかったのかもしれない。犯人探しが行われているその場でも、山井はただただ周りをきょろきょろおどおど見回しているだけだった。今にも上から水が降ってきそうだといわんばかりだ。

 このような、ドラマチックなことではないのだが、このころのことで、私の脳裏になぜか残っていた情景がある。場所は教室の中だ。私たち三人は、そこで声高に山井の悪口を言っていた。山井は二つ隣ぐらいの机に座って、中空に浮かぶチョークの粉か教室の隅っこに転がる虚無か何かそんなものを眺めていたはずだが、聞かれても理解する心配はなかった。私は、主に聞き手に回って、二人の「臭う」「腐る」「ぬめぬめする」「うつる」等、原始的で稚拙な罵言を聞き流していた。私は、退屈して別のことを考えていた、薄ら笑いは崩さずに。私はそろそろ合いの手を入れるころあいだと感じて、適当なことを言った。

 「ま、取り合えず、生きている意味はないわな」

 今まで、肉体的な欠点しか指摘できずにいた二人は、私の視点変換を喜んで受け入れたようだった。

 「確かに!」

 「今日死んだって、誰も困らんもんな」

 「せめて、意味さえあったらなぁ」

 「今のままじゃ意味なし芳一だもんな」

 「意味もないのに呼吸されたら、空気がもったいないよな」

 「まったくだ、臭くなるだけだしな」

 別に山井は臭くなかった。母親が洗ってやっていたんだろうか。そろそろ体毛だって生え始めていただろうに。

 私は彼らに固定観念に嫌気が差して、目をそらした。すると、山井が目に入った。山井はこちらを見ていた。山井と目が合ってしまった。

 別段、山井と目が合うことは珍しいことではなかった。しかし、そのときのそれは、他のときのとはすこし、何かが違っていた。いつもの、何かにおびえたような目ではなく、何かを見つけたような、何かに気づいたような、そんな目つきだった。山井は何か意思に似たようなものを働かせて、こちらを見、こちらの話に耳を傾けようとしているように見えた。

 私は背筋を大量の虫が這い上がるような感覚を覚え、すぐに目をそらした。何かに引きずり込まれるような感じがしたのだ。何に? そして、どこに?

 私はそれまで、山井の視線を鬱陶しいくらいにしか思っていなかった。何をしたって、あの驚いたようなおびえたようなあの目つき。何かあるように見せかけて、結局その向こうには何もない眼球。しかし、私は、その底なしの闇の中にも、何か小さなものが潜んでいるのに、うごめいているのに、そのとき気づいてしまったのかもしれない。

 小学校のころの話はこれぐらいにしよう。

 中学時代は何事もなく過ぎた。私も、いい加減世の中の隙間に身を滑り込ませる技術を覚え、付き合いたくもない人間と付き合ったり、やりたくもないことをやったり、自分と同じくらい愚かな人間を憎んだりしなくてもすむようになり、おせっかいどもから身を隠す術も習得した。中学は付近一帯のいろいろな小学校から生徒が流れ込むため、古い知り合いから離れているのも楽だった。中学になってから作った知り合いは、自分と同じように気が小さく平和的で、洒落のわかる者ばかりだった。

 そして私は、中学の間、山井のことをすっかり忘れていた。クラスが多くて会わなかったのだろう。私は人をいじめるのも、人にいじめられるのも、頭の中ならともかく、現実世界ではごめんこうむっていた。山井の、あの目の事もとっくに忘れてしまい、山井に何の興味もなかった。

 そして、高校入学。高校時代も何事もなく過ぎ去るはずだった。私は、趣味を持ち始め、自分の時間、自分の空間、他人から自分を守る石垣、自らの体液で築き上げた城をくみ上げていった。

 小学時代の知り合いとは、ほとんど縁が切れていた。うわさによれば、内田は無免許でバイクに乗って、事故って相手は死んで、一緒に乗っていた女も死んで、自分だけは生き残ったものの、一生車椅子で、廃人同然らしいし、高野は高校進学も決まって前途洋洋だったにもかかわらず、「生きる意味がなくなった」とかなんとか殴り書きをして、自殺してしまった。私は、顔を合わすだけでもいやだったので、いなくなってほっとした。私の世代は当たり年だったのかなんだったのか、妙に人生台無しにしているやつらが多い。野球選手や小説家もまとめて出てくることがあるので、ありえないことではないのだろう。

 そして、そこで私は山井にもう一度出会ったのだった。

 正直山井が、高校に進学できたことに私は驚いた。しかも普通科の高校にである。見れば、年月の力か両親の努力か、山井は確かに多少マシになっていた。もごもごと、聞こえるか聞こえないかぎりぎりであったが、しゃべれるようになっていた。これは大きな進歩だ。小学校では、呻きや悲鳴ぐらいしか発さなかった男である。これなら工場で働くくらいならできそうだ。

 同じクラスにはいたが、私は山井を意識的に無視した。知恵遅れとは言わないまでも、馬鹿であることは変わりがなかったし、もしかしたら少し罪悪感があったのかもしれない。そのときでも時々起こっていた山井いじめにも加わらなかった。まあ、高校生にもなって馬鹿を馬鹿にしても詮無いことだ。もっと役に立ちそうなやつをいじめたほうがいい。

 それに不思議と山井をいじめたやつはひどい目にあうのだった。仕返しを受けるわけではない。突然、登校拒否をしたり、テストにわけのわからないことを書いたり、学校をやめたりしたやつもいる。噂では気が狂って、親がやめさせたのだそうだ。山井は呪われている、山井の馬鹿はうつるという噂が飛び交ったりもした。もちろん、本気で因果関係を信じているやつなどいなかったが。

 そんなある日のことだった。

 高校からの帰り道だった。用事があって知り合いがみんな帰ってしまったため、駅までの少し長めに道のりをとぼとぼ歩いていた。そのとき後ろを誰か歩いているなと思って、振り返ると、山井がいたのだ。目が合うと、山井はにへらっと笑って、とことこ私のそばに早足で歩いてきた。私のことを覚えているらしい。それだけで、すさまじくいやな気分になる。しかもその笑顔。別に何かうれしいことがあるから笑っているわけではなく、ただ笑っていれば危害を受けることを避けられるのではないかというだけの、防御反応だけの笑いだった。だから、のっぺらぼうの表面にテクスチャを貼り付けただけのような、薄っぺらなへらへら笑いである。あの、びっくりしたような目のわずかな進化形。

 山井は何か話しかけてくるのかと思えばただ、後ろについて歩いてくるだけである。鬱陶しいと思うが、帰る方角が一緒なのは仕方がない。話しかけてこないのなら、無視を決め込んで、黙って歩く。手ごろな大きさの石が転がっていたので、少しずつ前方に蹴って転がす。面白いわけではないが、一度やり始めるとやめるきっかけを見つけにくい遊びだ。

 すると後ろから、ぼそぼそと声が聞こえた。私に話しかけているらしい。後ろを振り返り山井を見る。

 「なに?」

 山井がビクッと縮こまった。そんなに不機嫌そうだったかな、と思い、少し語調を和らげてもう一度訊く。

 「なんて言ったんだ?」

 「……いみ、あるの……?」

 「ハァ?」

 また、縮こまってしまう。はぁ、とため息をつき、もう知らん帰ろう、と思いかけたが、もう一度だけ、問いかけてみた。

 「何? 何なの?」

 すると山井は、もごもご口ごもりながら、こう言った。

 「それって意味あるの」

 「それって、どれ?」

 山井は私が蹴り転がしていた石を、指差した。私は山井が何を聞きたいのが理解しがたかったから、もう一度念を押して確認した。

 「意味があるかって、石を蹴ることに?」

 山井はうなずく。なぜそんなことを聞くのか。馬鹿にしているのか? しかし、山井の顔を見返すと、おどおどとはしているが冗談を言っている顔ではない。山井が冗談? そんな冗談みたいなことがあってたまるか。

 「意味なんてあるわけねえじゃん」

 と言って、ちょうど車がいなかったので、石を車道に蹴りこんだ。そして、石蹴り遊びをやめる理由を見つけたことにせいせいした私は、そのまま歩き出す。背後で山井が「なんだ、無いんだ」とつぶやくのが聞こえた。

 今思い出した、あれは夏のはじめだった。暑くて、歩くとすぐに夏服のカッターシャツの脇に染みができてしまった。日が傾いても、西日が強く、一向にましにはならない。駅までの道のりが余計に長く感じられ、音を上げた私は、自動販売機でドリンクを買おうとした。小銭が無かった。そこで、財布の札入れから千円札を出そうとしたとき、まだ後ろについてきていた山井が手元を覗いてきた。

 「それ、なんなの?」

 この馬鹿が! 昔みたいに殴ってやろうか? と思った。それは蛇の抜け殻だった。私はそんな気色の悪いもの入れたくなかったのだが、迷信深く愚かな私の母が無理やり入れたのだった。

 怒鳴ってやろうと思って、振り返るとさらに山井は口を開く。

 「それ、意味あるの」

 また意味か! 何で意味にそんなにこだわるのか? 馬鹿のくせに! ふざけているのか! しかし、山井の顔を見ると、無邪気そのものの顔をしている。邪気を抜かれた私は、起こる気が失せてしまう。

 「蛇の皮だよ。なんでも金がたまるんだそうだ」

 「ふ〜ん、そう」

 納得してもらえたか、と思って取り出した札を自販機に差し込もうとする。後ろでは山井が独り言を言っている。

 「……ちゃんと、意味があるんだ……」

 札にしわがよっていて帰ってきてしまう。しわを伸ばして、もう一度差し込もうとする。

 「……じゃ、くれよ……」

 後ろで山井がそう呟いた。私は怪訝に思って振り返る。

 「えっ、なんだって」

 「……それ、くれよ……」

 山井がそんな風に口をきくのは見たことが無かった。

 「くれって、これ?」

 私は、蛇の抜け殻を指差した。しかし病は横に首を振った。そして、しっかり私に目を合わせながらこう言った。

 「その意味、くれよ」

 山井は笑っていた。先ほどまでの、笑いとはまったく違う、新たな獲物をえた喜びの笑い。

 私は山井の目を見てしまった。あれ以来一度も覗いたことが無いあの深淵を。そこにはやはりうごめくものがいた。が、それはあのときのようにちっぽけなものではなく、すでにさまざまなものを喰らい、肥え太っている最中のものだった。

 それは私を見つめ返した。目の中の深淵に住むそれと私は目を合わせてしまった。

 それは私から、さまざまなものを取っていってしまった。彼がくれと言ったもの以上のものを、強制的に分捕っていってしまった。

 私はすべてを吸い込む深淵の中に、まっさかさまに落ちていった。

 

 それ以降のことはよく覚えていない。覚えていても断片的なものだし、私はあのときから二度とそれらをちゃんと理解することはできなかった。家を飛び出したのは確かなのだろう。なぜ飛び出したのかは皆目見当がつかない。どうやって自分が食ってきたのか、今現在食っているのかもわからない。長く意識を保てるのは稀だからだ。今は鳥取砂丘を掘ったり埋めたりをし続けている。前は重りを使って永遠に動く機械を作ろうとしたりしていたような気がする。髪の毛をつかんで引っ張りあげて飛ぼうとしたり、1になるまで0.のあとに9を書き続けたこともあるかもしれない。よくわからない。記憶が定かではないのだ。だからここで語ったこともみんな信用しないほうがいい。気の狂った乞食の言うことを信じるものじゃない。だいたい、この広告やら何やらの裏に書き込まれた物語も、すぐに風に飛ばされ、砂に埋もれてしまうのだろう。

解説

「山井」という名前は私が話を考えて弟が書いていたマンガに出ていたキャラクターだ。

死と太陽と無意味は直視できないなどというが、それは結局人間の弱さに起因するだけで、必然的な話ではない。

ちゃんとした器具を用意すれば太陽を観測することが可能なように、我々がもっとつよくなれば死も無意味を直視できるはずだ。

無意味を直視できる人間になりたいものだ。

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