淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

このページについてフィードバック(感想・意見・リクエスト)を送る

でも便利より不便のほうがだいぶいい

生きた化石

書庫に戻る

生きた化石

 皆さんは、気になったことがあったらちゃんと調べるだろうか。今はスマートフォンとインターネットと検索エンジンなんていう便利な物があるので、その場で大抵のことは調べられる。もちろん検索エンジンで調べたくらいで終わってもらうと困ることも多いが、それすらもしないよりはずっとましだ。私の職場の佐藤さんは、考え方が古いので「生きた化石」だなんて呼ばれているが、ふと気になってググってみると、本当に彼が生きている化石であることが分かった。彼は50年以上前に生息していた山田さんの化石だったのだ。いわゆる置換という現象で、樹木やアンモナイトの貝殻などが一度溶けて空洞になったところに、鉱物を含んだ地下水が流れ込んでオパール化したものなどが有名である。今回は、山田さんが溶けて空洞になったところに、佐藤さんを含んだ地下水が流れ込んで、こんな奇妙な事態になってしまったのだ。佐藤さんは、現代社会のどこにでもいるありふれた人間に過ぎないが、山田さんはすでに絶滅していて、しかも標本もほとんどない珍しい種類だったので、たちまち佐藤さんは化石ハンターの恰好の標的となったのだ。彼の生活は一変した。貴重な研究材料を手に入れるために四六時中彼を捕獲しようとする厚顔無恥な科学者どもに悩まされて、職場を追われ、妻子とも別れ、南は南極から北は北九州まで世界中を逃げ回らなくてはいけなくなったのである。

 そんな別に何ということはないある日、佐藤さんの分の業務まで引っ被って平日てんてこまいで家では寝るだけだった私に、奇妙な男が会いに来た。

 「可世木さん?」

 その男が差し出した名刺に書いたある名前を、寝惚けまなこのまま読み上げる私。

 「ええ。化石ハンターの可世木です」

 「はあ。その化石ハンターさんが、私に何のようです?」

 「またまたとぼけて。もちろんあのことについてですよ」

 なんだか溜息が出そうだ。

 「彼の居場所なんて全然知りませんよ。連絡も取り合っていないし」

 「いえいえ、そんなことではありません。標本の所在地はこちらで調べます。それよりも標本の確保にご協力願いたいのです」

 「確保? どういうことです?」

 「あなたは標本と一番気の合う仲間だったと聞いております。そのあなたの説得なら、聞いてくれるかも知れません」

 「なかなか手こずってる模様ですなあ」

 「できるだけ標本を傷つけずに確保したい、と考えるとですね」

 「私のところに来た、ということはすでに数人に断られてるってことですよね。少なくとも奥さんには」

 「ほう。噂には聞いておりましたが、なかなか強烈な理解力をお持ちのようですね、あなたは」

 その男は不敵そうに口角を上げると、机に肘をついて居住まいを崩し、先ほどまでよりも親しげに話しかけてきた。

 「私はねえ、彼のことがうらやましくてならないんですよね」

 こいつは一体何の話を始めたのやら。

 「追いかけられることが? もしや、追いかけっこマニアですか?」

 「そうじゃありません。考えてもみてください。彼は人類の知識の更新に全身で貢献する、偉大なチャンスを与えられたのですよ。それをむざむざ無駄にするなんて……私にはとても理解できませんね」

 そう言うと男は片眉を上げながら、私に

 「あなたなら分かって頂けますよね」

 などと合意を求めてくる。私が言葉を濁していると、男はあと一押しのつもりだろうか、聞いてもいない自分語りをはじめた。

 「私もですね、将来的に是非とも化石になりたいと考えていましてね」

 「はあ……それはまた」

 「学者の使命は、過去の成果から自分の研究を推し進めることだけでなく、未来の研究のために資料を残すことです。私は、遠い未来の人類、そうおそらく姿も思考も何もかも変わってしまっているだろう我々の子孫のために、自ら化石となって彼らの研究材料になりたいと思っているのです。そう考えるだけで、さあて私は一体どんな化石になるのだろうか、と想像が膨らんでわくわくしてきますよね。ワジの鉄砲水に押し流されて無酸素の泥に埋もれてしまうのだろうか、それとも突然の火山噴火に巻き込まれそのまま地下深くに埋葬されてしまうのたろうか。どんな特徴を残して遠未来の後輩達に謎解きをさせよう。胃の中に何かが残っている化石だろうか、皮膚の痕跡や足跡などの生痕を残せるだろうか、もしやDNAも残っているかもしれない。より多くの情報を残すためにはミイラや凍り付けも手だが、それでは何万年も後までは残念ながら残らない。いや、琥珀ならどうだろう? なんてね。実は、もう計画は立てているんですよ。聞きますか?」

 「へえ、なんなんですか?」

 別にさほど興味があったわけではないが、迫力に気圧されて聞き返してしまい、すぐさま後悔する。

 「化石という物の性質上、非常に珍しいのが交尾している最中の化石なんですよ。ドイツのメッセル近郊にある元は採掘場だったラーゲルシュテッテンから発掘された亀のカップルの化石なんかが数少ない例外でしてね。どうやらその付近一帯は5000万年ほど前の始新世ころ火山湖だったらしく、1986年にカメルーンにあるニオス湖で約1800人もの住人を犠牲にした火山ガス噴出と似たようなことが起きて、繋がったまま湖の底に沈んでしまい、その形のまま化石になってしまったんですよ。ロマンチックだと思いませんか?」

 「えっと……何がですか?」

 「彼らがあえなく命を絶たれながらも、中断された愛の行為を半永久的にこの世界に刻みつけたことですよ。私も必ずや後世の人たちにまさに愛を育んでいる姿をとって現れたいと切に願っているのです」

 特殊な露出狂かな?

 「でも、それって一人ではできませんよね」

 私は念のために聞いておく。

 「肝心のお相手はいるのですか?」

 男は顔の横で両手を広げて、

 「それがなかなか難しくて。世の女性達は、私の高尚な趣味を理解してくれないようです」

 と自嘲気味に笑う。そりゃそうだ。

 「で、結局何の話でしたっけ?」

 本題が行方不明になったのか、それとも本題は動かずに我々が行方不明になったのか、私は分からなくなってしまって、周囲を見回すが、そこは当然私の部屋だ。

 「標本の説得に協力してくださいますね」

 男が念を押すように言う。それを聞いて、とうとう我慢していた溜息が漏れた。断ってもそれはそれで面倒なことになりそうな雰囲気だ。私は面倒なことは嫌いなのだが、面倒なことは私のことを好きなようで、これだからもてる男は困る。

 「分かりました。できる限りのことはやりましょう」

 佐藤さんの件に関しては、責任の一端が私にあるので、丁度気になっていたところだったのだ。彼の去就が今度どうなるにしろ、見届ける義理が私にはある。

 「感謝します。長い旅になるでしょうから、お勤め先の方には弊方からも連絡しておきます」

 「へ?」

 な、長い旅って……マジで?

 「それでは、一週間後、今度は車でお迎えに上がりますから、それまでに職場や家族等、身辺整理を済ませておいてください。ごきげんよう」

 「へ? へ!? へ??」

 私が何も言い返せないうちに、男はさっさと帰って行ってしまった。残された私は閉じられたドアに向かって、

 「へ、へいへいほー」

 と意味のないことを呟くしかなかった。

 吐いた唾は飲めぬ、というわけで私はそれから佐藤さんを追って西の果てから東の果てまで奔走することになる。

 あるときはニューヨークの下水道で鼠と暮らす佐藤さんをあと一歩のところまで追い詰めたが、私の誤射で何十匹もの白い鰐が暴走して取り逃がし、別のときにはバビロニアの王がアラブの王を閉じ込めた罪深い迷宮に佐藤さんを追い込んだのだが、迷宮を解くために私が作った実物大の完全な地図に我々が迷い込んでいるうちに佐藤さんは、アラブの王がバビロニアの王を放置した行き止まりも分かれ道も壁もない、砂だけでできた神の作りし迷宮の果てに逃げ去って行ってしまっていた。

 こうして五年の歳月が過ぎた。私は式を挙げてすぐに置いてきてしまったチベットで出会った妻のことを思いながら、いい加減この長旅にうんざりしながらも、座布団の暖まることのない日々を続けていた。

 しかし、そんな生活もようやく終わるのであろうか、逃げに逃げ続けた佐藤さんが最後にたどり着いたのは阿蘇の火口だった。あと一歩でも後ずされば真っ逆さまに落ちていくしかない。まさに後がない。彼を囲んで断つ黒服の男達をかき分けて、可世木と私は佐藤さんに面と向かう。こうやって彼と目と目を合わせて話すのも、実に五年ぶりだ。

 「お久しぶりです」

 私の第一声に佐藤さんは皮肉げに顔を歪ませる。

 「久しぶり? 俺はお前の存在を感じ続けていたぞ。世界の果てまで俺を追いかけ回すお前のな」

 そんな風に敵意剥き出しにされると少し困る。

 「まずはお詫びからさせてもらいます。あなたの人生を無茶苦茶にしたことは、本当に済まなかったと思ってるんですよ」

 「お前が謝って、俺の人生が戻ってくるのか?」

 「戻ってこないからこそ、これからの人生をどう生きるかが大切なんですよ。もう逃げなくていいのです。これ以上、お互いに人生を無駄にするのは止めましょう!」

 「それは俺に、その男の実験材料になれ、と言うことか?」

 佐藤さんが歯を剥いた。

 「断る。俺は俺だ。他の誰でもない! 見も知らぬ男の化石なんかでは絶対にない!」

 「佐藤さん、そんなことを気にしてる問題ではないでしょ。現代では、誰もが誰かが夢見た夢に過ぎず、誰もが誰かの痕跡に過ぎない。独立し自律した個人、内部構造も窓も持たないモナドなどというものは、結局は幻なのです」

 「そんな机上の空論など知るか。俺にとって俺は俺だ。この感覚以外に真実はない。もし俺が何かの化石や痕跡なら、それは俺自身のであって、他の誰かでは絶対にない!」

 私は溜息をつく。本当にこの世は面倒くさい人々で満ちている。

 「あなた本当に考え方が古い」

 そのとき、私の後ろでくさくさし始めていた可世木が我慢できなくなって私の肩を叩く。

 「いい加減にしろ。説得する気があるのか。ないなら突入するぞ」

 「もう少し待ってください」

 私が佐藤さんから目を離した瞬間、彼が叫ぶ。

 「お前の言うとおり、もう止めにするぞ!」

 「止めろ!」

 「そいつを捕まえろ!」

 振り返ると、佐藤さんが空中に身を躍らせる瞬間だった。黒服の男達が急いで駆けつけて、彼を捕獲しようとするが、もう間に合わない。佐藤さんは煮えたぎるマグマの中に落ちていく。火口からは小さな塵ほどにしか見えなくなった佐藤さんの体は、奇妙にゆっくり落下していくように感じられたが、最後にはマグマの表面にぽっと小さな煙が上がり、五年間の逃亡生活の末尾を飾る送り火となる。

 「かつて、何千年も細々と生き残っていた古代の翼竜が飲み込まれたこの火口に身を投げるとは……とことん皮肉な人ですね、あなたも」

 旧友の悲劇的な最後を見届けてしまったことに、ちょっとおセンチな気持ちになって慨嘆していると、可世木は突如烈火のごとく怒り出して、私の襟首を掴んで無理矢理立たせる。

 「貴様のせいで、貴重な標本が! スポンサーにどう言い訳しろというのか!」

 私はその手を振り払いながら、襟をなおす。

 「私はできる限りのことをやったさ。こんな結末なんて、私だって望んでいない。あなたが彼を追い込んだんだ」

 可世木は顔を真っ赤にしながらまくし立てる。

 「ずっとそうじゃないかと思っていたが、今確信した。お前は俺の邪魔をしてきたんだ。ニューヨークでもバビロニアでも、もう少しで捕獲できるっていうときに、お前が作戦を台無しにしたんだ。お前さえいなければ、俺たちはあの標本を無事手に入れることができ、すばらしい研究をして学会でも喝采を受け……」

 「そして佐藤さんは、内蔵を綿に変えられ、剥製になって展示される、というわけか?」

 「そんな乱暴な研究を私はしない!」

 「もちろんただの例えだ。しかし、調査が終わらないうちに、佐藤さんをあなたの手に渡すことはどうしてもできなかった。もう少し早く調べが付いていたら、こんなことにはならなかっただろうに」

 「調査? なんのことだ?」

 そのとき私の携帯が鳴り始める。私は、通話ボタンを押し、聞こえてくる報告に耳を傾けながら、話を続ける。それはだいたい予想通りのものだった。

 「可世木さん。あなたについてどうしても気になることがいくつかあってね。それでググってみたところ、あなたが重度の石化フェチであることが分かったんですよ」

 「何の話をしている? その電話はなんだ?」

 「お前がカーボン凍結やヒッポリトタールなどの禁じられた研究に勤しんでいることは、お見通しなんだ。今丁度インターボールがお前の隠し部屋に突入して、生きたまま石にされた被害者達を発見した報告を聞いているんだよ。これがあと数分早ければな……」

 電話の向こう側の声に礼を言った私は、通話を切りながら、可世木に告げる。

 「あなたは終わりだ」

 可世木は茫然としたまま、その場に崩れ落ちてしまう。

 「あいつらが悪いんだ。あいつらが俺の高い志を理解しないから悪いんだ。むしろ感謝するべきだ。俺の手で、彼女たちの移ろいやすい美しさは永遠のものになったんだ。半永久的に残り、遠い未来の人類に、貴重な情報をいくつも残せるんだ。人類の長い歴史に貢献できるなんて、これほど幸せはない! そうだろ? な、あんたなら分かるだろ?」

 すがるような視線で私を見上げてくるので、思わず思い切り眉を顰めて見下ろしてしまった。

 「え、もしかして、ちょっと引いた?」

 心配そうに尋ねてくる男に、決然と言い放つ。

 「引いたとか引かないとかじゃなくて、正直つまんない」

 「は?」

 男はその言葉が、理解できないようだ。

 「つまらないとは、つまり、つまるところどういう意味だ?」

 「なんていうか、ありきたりというか。さんざん使い尽くされたネタをいまさらって感じがするわけ。もっと、他のこと言えないの、って思う」

 「な? べ、別にお前を面白がらせようと作った理由ではない!」

 「ほら、そういうことを言う。別にあなたの意図を聞いているわけじゃないんだから、面白いことを言おうとしたわけじゃないからと言ったって、言い訳にはならないでしょう。つまらないことを言う奴に限って、そういう後出しじゃんけんみたいな言い訳するんですよねえ」

 「ちょ、ちょっと待て! 言い直すから! 別の理由を考えるからちょっとだけ待ってくれ!」

 慌てて考えはじめる可世木の背後から、我々をずっとつけていた捜査官が近づいてその手首に手錠をかける。

 「頼む! もう一回チャンスをくれ! 次はちゃんと面白いことを言うから!」

 「いい。いいんだ。ちょっと休め」

 最初は抵抗しようとした可世木も、捜査官になだめられて、肩を落としておとなしく付いて行く。登場人物としての存在意義を否定された男の背中は心なしか小さく見えた。雇い主を失った黒服の男達もすごすごと下山していくなか、私はしばらく一人風に吹かれてみようと、そこに残る。ポケットからゴールデンバットを出して口に加えると、横から火の付いたイムコのオイルライターが差し出される。

 「また、嫌な事件だったな」

 私はオレンジ色の火に顔を寄せ、安っぽい煙草の煙を吸い込む。

 「本当に吸うたびに味が違うな、バットは」

 吐き出す紫煙と雲を見比べながら、誰に言うともなく呟いてしまう。

 「あんたはどう見る、この事件の教訓を。好奇心は猫を殺す、なんて言葉があるだろ。世の中にはやはり知らない方がいいことがあって、そんなものは知らないままにしておけばいいってことか。でも、そこで知らぬ振りをしたって、結局他の馬鹿な誰かが、寝た子を起こしてやっかいごとを起こすんだったら、俺たちがそうなる前に面倒な真実を掘り起こして、無害化しておくべきなのかも知れない。どっちにしたって、損な役回りだよな、俺たちって」

 私はまるで人生のようにゆっくりと確実に不可逆的に煙草を灰にしてゆく火を眺めながら、ただ黙ってその話を聞いていた。

 「そう考えると、あの佐藤って男、俺たちの仕事を減らしてくれるなんて、なかなかありがたいことをしてくれるじゃないか。真実なんてのは、燃やして、灰にしてしまうに限るものなんだ。それこそ、俺たちがこれから仕事にしなくてはいけないことなんじゃないか? そうすると、あの佐藤って男、死なせるにはもったいない男だったのかも知れないな。人が本当に自由になるためには、人が本当に自分自身になるためには、世界中のあらゆる隠された真実を灰燼に帰さなくてはいけないってことを、あいつは教えてくれたんだ。そうじゃないか?」

 そこまで聞いて、とうとう我慢できなくなった私は、灰を地面に落としながら、口を開く。

 「すまんが、ずっと気になってることがあるんだ。訊いていいかい?」

 「なんだ? みずくさいな」

 私は、それをどう口にするのが適切か一瞬逡巡したが、結局一番直接的に言うことに決めた。

 「あんた、誰ですか?」

 どうやら私のことを、知り合いである別の誰かと勘違いしていたらしいその通りすがりの男は、恥ずかしさに顔を真っ赤にしてぺこぺこ平謝りしながら、頭を掻き掻き山から降りていった。

 めでたしめでたし

解説

「生きた化石」という言葉から思いついて、いろいろ調べながら適当に書いた作品。

「南な南極から北は北九州まで」という言葉は平成版アニメ『おそ松くん』の中の「南は南極から北は北千住まで」というセリフから。

「ニューヨークの下水道云々」という部分はトマス・ピンチョンの『V.』から。

「アラブの王とバビロニアの王云々」とか「実物大の地図云々」とか「誰もが誰かが夢見た夢云々」とかはボルヘスの短編集からいろいろと取ってきてある。

「モナド」は関数型プログラミング用語ではなくもちろんライプニッツから。

「古代の翼竜云々」は『空の大怪獣ラドン』のこと。

「カーボン凍結」は『スターウォーズ/帝国の逆襲』ハン・ソロを凍結させた技術。

「ヒッポリトタール」は『ウルトラマンA』に出てくるヒッポリト星人がウルトラ5兄弟をブロンズ像にしてしまった技術。

最後のオチはおおひなたごうのマンガにあったオチをほぼそのまま。

好きな物を詰め込むの好きなんだよな。

タグ

書庫に戻る