道に迷う
しょっちゅう道に迷うのだが、なぜ迷うのかというと、知っている道を歩いている最中に、そうだ今日はちょっとこっちの道を歩いて見ようなどとぶつぶつつぶやいて道行く人々の不審な視線を浴びながら、知らない道に入っていってしまい、最初のうちは知っている道に対する自分の位置もちゃんと把握していて、いつでも復帰できる状態、つまりは決して迷っているわけではないと確言できるのだが、あそこに見えるのは知らない古書店ではないですか、おや、こんなところにお稲荷さんが、などと何回か角を曲がったり、街角の謎オブジェを眺めたりしているうちに、既知なる地域との位置関係を喪失して、既知の外なる未知なる道をさまようことと相成り、要は道に迷ってしまったとなるわけであるが、これくらいのことは良くあることなので、別にあわてず騒がず、同じようにさまよっていればそのうち知っている道に出るのであって、そうすれば道に迷っている状態から道に迷っていない状態に無事復帰できるというわけだが、ここに落とし穴がある。大体において罠というのは、危難が去って安心した瞬間という最も気が緩んでいるときに発動するのが最も効果的で今回もまた同様、実際町というのは歩いてみれば分かるが、罠に満ちているものだ。この場合の落とし穴は、まさに知らない道から知っている道に復帰する瞬間に待っている。普通はそこで同時に道に迷っている状態から道に迷っていない状態にも復帰するはずなのだが、ここで油断していると、知っている道に復帰したにもかかわらず、道に迷っていない状態には復帰できないということになりかねないのだ。そうすると後が大変で、なぜなら道に迷っている状態から道に迷っていない状態に復帰するためには、知らない道を歩いている状態から、何らかの意味でよく分かっている道を歩いている状態への変化が必要で、そもそも良く知っている道を歩きながら、迷っている状態から迷っていない状態に遷移することは不可能なのだ。もしそのままほっといてしまったら永遠に道に迷ったまま暮らし続けることになる。それでもかまわないという人もいるかもしれないが、恥や外聞もあり、世間体にも良くないので、あまり好ましいこととは思えず、何とか迷っていない状態に復帰しなければいけないと思い、そうすると方法はひとつ、わざと知らない道に分け入り、適当にさまよって、そこから知っている道に復帰する瞬間を狙うしかなく、そういうわけでまたしょっちゅう道に迷ってしまうことになる。