我らの豊饒な海
弾けた。
泡が弾けるように、すべてをつないでいた緊密な糸は残らずちぎれてしまった。膨らみきった風船のように張り詰めた緊張には、その一部分にできた小さな裂け目でも、致命傷となりうる。すべてが弾ける、すべてが崩れる。轟音とともに。閃光とともに。
しかし、誰がその音を聞いただろうか。その空気をはがすような音を。しかし誰がその光を見ただろうか。世界を包んだその光を。誰が家々が火に包まれるさまを見ただろうか。誰が都市が崩れる瞬間を目撃しただろうか。誰もいない。見たものも、聞いたものもいない。そのとき何があったのかを。
そもそも何かがあったのだろうか。本当に世界を焼き尽くす劫火なんてあったのか。立っているものすべてをなぎ倒す爆風なんて存在したのか。何もなかったのかもしれない、何も残っていない以上。火も風も、光も音も、戦争も人間も。最初から何もなかったのかもしれない。そうすると、最初からこの星はこういう風だったのだろうか。最初から、放射線と毒物に覆い隠された世界だったのだろうか。そうかもしれない。
しかし荒涼としたこの世界にも、時は流れる。すべての上に時は流れるからだ。時はすべてを変化させる。時はすべてのものを流しさる。
変化は必ず起こる。蒸発せずに残った海に、血の色をしたプランクトンが大量に発生した。彼らは重金属類を取り込みながら、海にただよい、死ねばそこのヘドロのように沈積した。そしてそれらを食べる生き物も現れた。八本足で海底を這い回りながら、生きているか死んでいるかにかかわらず、貪り食う。背中は硬いからで覆われていた。それが彼らを守ったのだろう。彼らは増えた。彼らは大きくなった。
彼らは生きた。死を食らった生きた。彼らはこの死の世界で生命の雄たけびを上げた。彼らは幸せだった。
彼らはもっと遠くを見たいと思った。彼らは海から這い出た。放射線に満ちた大気が皮膚に少し痛い。しかし彼らはあきらめない。幾世代もかけて彼らは新しい土地を征服した。そして彼らは立ちあがった。遠くを見るために。この世界を見るために。
そして見た、この世界を、彼らを育てたこの世界を。すでに獲得し始めていた知の目で持って、それを見た。
彼は思った。
見よ、この世界を。
見渡す限り何もない、このだだっ広い世界を。
見よ、あの海を。あの赤い海を。
われらの故郷、われらの母、われらを育んだあの美しい海。
見よ、この大地、何にも覆われていないこの裸の赤黒い大地。
見よ、あの川、黒くにごった粘っこい油のせせらぎ。
心地よい風、すがすがしい空気、灰色のけっして変わることのない空。
黒い冷たい雨、首が二本だったり三本だったりする、おいしい虫。
首や手足が余分な赤ん坊は豊穣の徴だ。
われらを包むこの大自然、なんて美しいのだろうか。
彼は続けて考える。
私たちは、この地を這い回る虫けらとは違う。私たちは、毛むくじゃらの小さくやせた獣よりもずっと立派だ。
私たちは神に選ばれたのだ。私たち以外のものは、みな私たちに食われるために存在するのだ。
あの赤い海の向こうにいる神は、自分に似せて私たちを創り、私たちに、知恵と力と恵み、すなわちこの美しく豊穣な世界とを、与えたのだ。
神がこの世界をお創りになったのだ。そうとしか考えられないではないか。神以外のどのような存在が、このような完璧な世界を作れようか。あの山の向こうにある、あの黒く焦げた恐ろしい鉄の骨組みは、神によって滅された怪物の骨に違いない。あれほど巨大な怪物でも、神の力には勝てないのだ。どうして地上はこんなにも広く、またあまりにも何もないのか。それはこの美しい大地の上に、われらが地上の楽園を作るためなのだ。この世界はそのためにこそ存在するのに違いない。
われらが主よ、そしてわれらの世界よ。