淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Long Live The New Flesh

駅にいるちっさいおっさん

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駅にいるちっさいおっさん

 がぶ飲みフルーツミルクが微妙な量残っていたので電車乗る前に一気飲み、ちょうど目の前にあったゴミ箱へシュート、俺は切符販売機に向かう。はずが、「いえ!」という声に思わず振り返る。なんだ? どこから聞こえた? 後ろには誰もいない。声はどうも、先ほど空のペットボトルを投げ入れた穴から聞こえたような気がする。よく見ると、パッと見にはゴミ箱にしか見えないそれは壁の腰くらいの高さのところにあるただの丸い穴で、どこにもゴミ箱とは書いておらず、普通は「ペットボトル」とか「カン」とか分別が書いてあるものだと思うのだが、そういう記述もなかった。そしてその穴の中からうんしょうんしょと出てきたのはちっさいおっさんだった。髭面の。

 「おい、お前! 痛いじゃないか!」

 そのおっさんが微妙に甲高い声でそう俺に叱りつける。いつでも殺せると思った相手にはいつでも優しい俺は、形だけ、

 「どうもすみません」

 と謝ったが、どうも相手はそれでは許してはくれないようだ。

 「お前、ちょっとこっち来い!」

 となんだか手招きしている。なんだなんだ俺は忙しんだけどなと思いながらそちらに行くと、おっさんは穴の中に戻って何かをごそごそ探しながら、本人にとっては大声であろう声できーきー文句を言っている。

 「最近わしの家をゴミ箱と勘違いしてペットボトルを投げ入れる輩が多くて困っとるんじゃ。ポッと出の人間風情が! わしが何年生きていると思ってるんじゃ」

 そういいながらおっさんが穴の中から取り出したのはちっさいはしごだ。それを穴から床に伸ばそうとしているが、なにしろおっさんはちっさいので上手くいかない。

 「そういう輩には、わしの秘伝の呪いを掛けてやることにしておる。わしが小さいからと言って軽んずる奴はわしと同じくらい小さくなって、呪いを解くための旅に出てもらうのじゃ。なぜだかはわしにもよく分からんのじゃが、わしの呪いを受けた者は動物と話が出来るようになって、彼らと長い旅をしている間に今まで知らなかった友情の大切さやスウェーデンの地理について知るようになり、大きく成長して元の大きさに戻ることが出来るのじゃ」

 俺は「秘伝の呪いを掛ける」という言葉と「秘伝のタレをかける」という言葉の神秘的な暗合に感銘を受け、すでに心は一人焼き肉への遠い旅路の途上にあったため、後半はよく聞いていなかった。そんな俺におっさんは

 「おい! おいあんた!」

 と呼びかけている。

 「すまんが、梯子を支えてくれんかね」

 俺はしゃがんでその小さい梯子の下をちょこんと持ちながら、

 「なんか家の入口高すぎませんかね。非合理じゃありません」

 と問いかける。

 「あのインチキ大工め! 最近はこういう奇抜な住居が流行ってるんです、などとぬけぬけとぬかしおって。今度会ったらただじゃおかないからな」

 とプンスカプンスカ怒りながらおっさんが梯子に足を掛けようとした瞬間、俺は

 「ざああねぇんだったなああーーーーーっっ!!!!」

 と叫びながらその梯子を外す。落ちそうになったおっさんが入口の穴にぶら下がる。通行人が俺の奇声に思わず振り返る。「先輩、また一部の人にしか見えない妖精と遊んでたらしいですね」と数日後後輩にからかわれることになる。

 「貴様! 何をする」

 ぴーぴー叫ぶおっさんを放っておいて俺は切符販売機に走り去る。

 「どこに大人しく秘伝の呪いをかけられる馬鹿がおるっちゅうねん! 俺は逃げる! ただそれだけさ! イエイ!」

 急いで切符を買おうとするが、なぜか財布の中にはこんなときに限って大量の十円玉しか財布に入っていない。俺は急いでギザ十を選り分けながらそれを硬貨投入口に入れていく。

 「お、おのれえ!」

 叫び声にそちらを見ると、小さいおっさんが決死の覚悟で穴から飛び降りている。

 「ぎゃん!」

 べちゃっと駅のコンコースの床に潰れる小さいおっさん。

 「足挫いた!」

 と悲痛な叫びを上げているも、へこへこと足を引きずりながらこちらに接近中。そのときちょうど必要な額を投入することに成功。スイッチオン! 私は出てきた切符を片手に自動改札へと走る。背中越しにおっさんが、哀れな通行人に

 「おいお前。わしを券売機まで抱きあげろ! さもないと呪いを掛けるぞ!」

 と脅しを掛ける声が聞こえる。券売機を越えた俺は、駅のプラットフォームへと向かうエスカレーターに乗る。すると、券売機の機械の間をぴょこぴょこ通っていく、おっさんの緑色の帽子が見えた。ヤバい、このままでは追い付かれる。そう思った瞬間、駅員が詰め所から出てきて、

 「すみませんお客様。ちゃんと大人用の切符を買って下さらないと」

 とおっさんを止めている。

 「なにを言うか! わしは立派な小人じゃぞ!」

 「いえいえ、そんな立派な髭をしてらっしゃる方が小人なわけが……」

 と明らかに馬鹿にしたニヤニヤ笑いをしながらおっさんの手を引いて駅員室に連れて行こうとしている。グッジョブ駅員。

 私はそのまま丁度来ていた電車に乗り込んで、恐怖の呪いから逃げられたことにホッとしておばあさんに席を譲らずに読みかけのダニロ・キシュの『砂時計』を開く。そしてそれが傑作である確信を深めていくとともに、私は何か形容しがたい喪失感に襲われた。俺は物凄くもったいないことをしたのではないか? あのままあのちっさいおっさんに捕まって呪いを掛けられていらば、小さくなって動物と話が出来るようになったり、友情の大切さやスウェーデンの地理について学ぶなどの、普通なら一生出会えない経験が出来て、小説のネタになったかもしれないのに。俺はその貴重な機会を失ったのだ。そして今もこんな下らない日常に沈み込んでいる。こんな糞下らない日常なんて小説のネタなんかになりはしない。ふと手に何かを持ち続けていることに気付いた俺はそれを見る。それはおっさんが降りてくるときに外したちっさい梯子だった。それは俺が行けたかもしれない世界との間をつなぐ自分で外してしまった梯子のようで、俺はそれを胸に抱いて泣いた。おばあさんはそんな俺が気持ち悪かったのか、席を譲らせることを諦めてどっか行った。

解説

追記:冒頭に「がぶ飲みフルーツミルク」と書かれている者は「やみつきフルーツ・オレ」の間違いである。名古屋大学南部食堂の近くの「NUだが屋」で買ったのだが、確か日本語四文字の後にフルーツだったはず、と覚えていて、どうしても宣伝が大きかった「がぶ飲みシリーズ」に引っ張られてしまったのだ。ネットで調べて「これじゃなかったよなあ」と思いながらも、正解は一向に思い出せなかったので苦肉の策として嘘を付く形になってしまった。正当な非難には甘んじて頭を垂れようと思う。すまない。ところであの店はもともと「パンだが屋」という情けない名前だった筈なのに、いつの間にか名前が変わっていたのですね。「新しい」ことを意味する「ニュー」と「名古屋大学」の略である「NU」を掛けるとは感心するが、今年から入ってきた学生には何のことやら分からない気がするのだが如何に?

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