私ではなく
小さなころから何一つ自分ではやってこなかったので、私はとうとう、自分では何もできなくなった。もし私が何かをしようとすると、実際にそれをするのは私ではなく他人である。
ある日、私は散歩に出かけようと思ったが、実際に散歩に出かけたのは私ではなく他人である。
私は買い物をしようと思ったが、実際に買い物をしたのは私ではなく他人である。
私はどうせ私が買うのではないのだから万引きしようと思ったが、実際に万引きしたのは私ではなく他人である。
私は家に帰ろうと思ったが、実際に家に帰ったのは私ではなく他人である。
私は昼寝をしようと思ったが、実際に寝たのは私ではなく他人である。
私はそろそろ起きようと思ったが、実際に起きたのは私ではなく他人である。
私は飯を食おうと思ったが、実際に食ったのは私ではなく他人である。
私はこのままではいけないと思ったが、実際にそう思ったのは私ではなく他人である。
私はやけになって女を買ったが、やけになったのも他人ならば、女の上に乗って啄木鳥の巣作りのように腰を打ちつけていたのも他人である。
私はいやになってすれ違いざまに人を殺したが、いやになったのも他人だし、ペンチで葉を一本残らず抜き、目をくりぬき、花とのど仏と生殖器を引きちぎったのも他人である。
私は悲しみ、泣き、壁にゴンゴン頭を打ち付けたが、悲しんだのも、泣いたのも、壁にゴンゴン頭を打ちつけたのも他人である。
私は絶望して、そこら辺の地面に転がっている石をぼりぼりむさぼり食い、逆立ちしてクークラックスクラーンと叫びながら、南は南極まで、北は北千住まで、足の裏がぼろぼろになるまで走り回ったが、絶望したのも、そこら辺の地面に転がっている石をぼりぼりむさぼり食ったのも、逆立ちしてクークラックスクラーンと叫びながら、南は南極から、北は北千住まで、足の裏がぼろぼろになるまで走り回ったのも、他人である。
私は自殺したが、死んだのは他人だし、生き残ったのももちろん他人である。
もう私について語るのはよそう、私について語ることなど不可能なのだから。
なぜなら、これを語っているのは私ではなく他人であるし、語られているのも私ではなく他人であるからだ。