淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Πάντα ῥεῖ

大蛤の見た夢

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大蛤の見た夢

 長い放浪の旅の末に、ようやくバス停を見つけたのだが、肝心のバスがなかなか来ない。時刻表を見ると一時に、町の中心部方面のバスが来るはずなのだが、日の傾きを見ると今は大体三時ごろであろうか。私がこのバス停にたどり着いたのはまだ太陽が昇りかけであったはずだ。まあよい。日陰があるだけで見つけ物だ。いつもこの時間帯は、日差しが強いので動けない。物陰で蹲って、日が落ちるのを持ちながら、冷房の効いたコンビニエンスストアの夢でも見ている頃だ。そう考えると時間の無駄をしているわけではない。

 強い風が吹いて、バス停のビニル製の屋根にもバラバラと横殴りの砂がぶつかる。頭に巻いた布をずり下げて、顔を被ってやりすごす。砂嵐が来なければいいが。もし来たら、こんなバス停、あっという間に砂に埋もれてしまうだろう。そうしたらバスは何を目印に走ればいいのだろうか。こんな広漠とした砂漠のど真ん中で。

 太陽の移動とともに影が動き、その影の動きに合わせて少しずつ場所を移動させながら、砂の下にコンクリート製の土台があるらしい地べたに横になる。金属製のベンチは、その上で料理ができそうになっている。砂漠は湿度が低いので、直射日光がなければかなり違うのだが、それでも暑い。サングラスをずらして、布で顔をぬぐう。懐から水入れを出して、栓をとる。枯れた水場に横たわっていた野牛の胃袋を切り取って作ったものだ。出発のときに持っていた水筒は空になっている。手に入るところからは、できる限りの水を持ち出したい。ぬるい水を口に含む。ざらざらしていた。どんなに気をつけていたって、口も鼻も砂だらけだ。

 寝転がっているのにも嫌気が差し、体を起こす。二時間も遅れることなどありえるのだろうか。もしかしたら何かがあったのではないだろうか。交通事故だろうか。しかし砂漠の真ん中でどんな種類の交通事故に遭遇できるというのだろう。わき見をしていて砂漠の真ん中で電信柱に衝突、砂漠を横断中の歩行者を引いてしまう、砂漠の真ん中でカーブを曲がろうとして内輪差で自転車を引いてしまう、砂漠の真ん中で高速道路の降り口を見逃してしまい逆走して後ろから来ていた車と衝突。思わずにやけてしまう。せいぜいあり得るのが、タイヤが砂にはまってしまうことくらいか。今頃乗客を全員降ろして、力をあわせて後ろからバスを押させている頃であろうか。大量の砂を乗客に浴びせかけながら空回りする後輪、アクセルを踏み込む運転手、いっせいに掛け声を上げ呼吸を合わせ、力を振り絞ってバスを押す乗客たち。ゴトンと一ゆれし、バスが動き出した。歓声を上げる乗客たち。しかし喜んだのもつかの間、動き出したバスは止まるそぶりも見せず、快調に飛ばして地平線目指して走り去っていこうとする。一瞬自らの目を疑い、二舜後驚きあわてた乗客たちは、やめろ止めろと叫びながら追いすがるが、バスに足でかなうはずもなく一人ひとりと力尽き、砂に足を取られて倒れ、力尽きてゆく。バスは、太陽が落ちていく場所へと消えていってしまった。やがて日は傾き、彼らの上に風は優しく吹き、彼らの絶望を砂で覆っていく。死のように優しい夜が彼らの上に訪れ、夜のように美しい月の光が彼らを照らし、彼らの涙は月の光のように鋭利な水晶になり、すべての涙を砂に吸われた彼らには水晶のように静かな死が訪れる。

 ふと気になって、携帯電話を確認するが、メールも着信も無い。圏外なんだから当たり前だ。バッテリーの残り表示が心もとなくなっているが、乾電池をこれ以上充電用に浪費したくは無い。手動式の充電器はカバンの奥であるし、小さいハンドルをぐるぐる回し続ける気力も体力も今は無い。いくつもの経線を越える長いたびの間に時計はズレてしまったし、ミニゲームをやるわけでもないし、写真をとりたくなるようなキャラバンが目の前を通り過ぎるわけでもないし、待ち受け画像を見ながらニヤニヤするわけでもない。突然断末魔の叫びを上げられてもうっとうしいから、電源を切っておこう。

 もう一度、バス停の天井の掲示板を見る。「一つ前のバス停を出ました」のランプはつかないままだ。一瞬、電気が来ているのだろうかと不安がよぎったが、視線を少し横にずらせば、電光掲示板を最新のニュースが横切っている。町での歩きタバコは禁止なのだそうだ。そういえばこのバス停にも灰皿が無い。電気はどこから来てるんだろうかと思ったが、ここを目指しているときに、屋根の上に太陽光パネルが設置されているのを見たような気がする。自然に優しいというわけなのだろうか。砂漠化も止めなければいけないのだろう。

 こんなことなら、あっちのバスに乗っていればよかった、と反対車線のバス停に目をやる。車線らしきものは、砂に埋もれたのか、もともとそんなもの無かったのか、どこにも見当たらないが。ちょうどここへ到着したとき、向こう側には一人、バスを待っている人がいたのだ。小さい台車にかばんを載せた腰の曲がった老婆だった。まるで生気を感じなかった。もしかしたら幽霊なのかもしれないと思っていた。車に乗せると消えるのである。そうしていたら、地平線のかなたから砂煙を上げて、太陽の光をギンギラギンに反射したバスが走ってきたのだ。そのときまで、この地域の交通ルールが右側通行か左側通行なのかわからなかったので(砂漠のど真ん中で右側通行とか左側通行とかに何の意味があろう)そのバスが、こちらの車線に来るのか、あちらの車線に来るのか判断できなかったが、別に判断できようができまいがお構いなく、バスは反対車線のバス停に止まり、老婆を呑み込んで走り去っていった。バス停に着いて最初に来たのが反対車線のバスだったことに少々はムッとしたが、まだ、バスを待ち始めて大して時間が経っていなかったので、大して気にはしなかった。時間帯の関係であろうか、町から来たバスにはまったく客がいなかった。日が高くなりかけていて、通勤通学客はもうそれぞれの務めの最中なのだろう。ほぼ無人のバスは冷房が効いて涼しそうだった。旅行会社の広告が天井からユラユラ、逆さの昆布のように揺れていた。今思えば行き先が違うとはいえ、あれに乗っていれば良かった。行きたい所にはいけないかもしれないが、どこかへは行けるのだ。こんなところに寝っ転がっていたって、どこへも行けはしない。それにもしかしたら、バスの路線によったら、どこかで折り返して、戻ってくるかもしれない。そうすれば時間はかかるが、太陽の光でじりじりこんがりグリル焼きからは逃れられる。そうでなかったら、終点にはターミナルがあるはずで、停車場だってあるはずだ。何とか頼み込んでそこに泊めてもらえばいい。「もらえばいい」じゃなくて「もらえばよかった」だ。もう遅い。

 一応確認のため、路線図を見ておこう。このバス停の名前が「蟻塚跡」。むかし蟻塚があったのだろうか。蟻塚に何があったのだろうか。町までにはあと八のバス停がある。八といってもどれだけ遠いのかは、バス停の間隔が一定しないのでわからないし、その間にどんな危険が待っているかもわからない。砂嵐、流砂、毒さそり、けもの、マンショニャッガー、許されざるものたち、シャイ・フルドと地元で呼ばれる巨大なサンドワーム、最近凶暴化したナバール盗賊団、彷徨する幽霊都市。歩いて行くなんてごめんだ。

 町の二つ手前には、有名な観光地のヴァーミリオン・サンズがある。もしバスに乗れたなら、そこを少し覘いていくのもいいかもしれない。もしかしたらここからでも、雲の彫刻師たちの姿が見えないかとも思い空を見上げたが、一片の雲すらここからは見えない。

 町から離れていく方へだと、まず、「らくだ岩」、「多鯰ヶ池」、「塗り残し砂漠」、「廃墟」、「古戦場」、「現戦場」、「砂上の楼閣」、「死の谷」、「酸の湖」、「月の砂漠」……。そこからはよくわからない。よくわからないというか、書かれていいないのだが、よく棒グラフなんかで、ひとつだけ突出しているときに、間を省略するために使う波型二本線の記号、あれで路線図が掻き消されてしまっているのだ。どういう意味なのだろうか。これより先のバス停は未踏破なので、unknownだとでも言うのだろうか。それともここから先はどうでもよいということだろうか。そこがわからないと、反対路線に乗ったときの所要時間が判断できないのだが。もしかしたら、バスはそのあたりまで行くと、行方不明のような形になり忽然と消え、そしてまた反対路線に忽然と現れるのだろうか。まるで砂漠の蜃気楼のように。多分そこから先は夢と現の境があいまいになる、蜃気楼の領域なのだろう。

 そうしたら、さっきの老婆はどこへ行くつもりだったのだろうか。この路線図を見る限り、あの老婆に用がありそうな場所はない。そうするとあの老婆は、この二重波線によって、バスとともに掻き消されてしまうのだろうか。砂漠の蜃気楼のように。そう考えると、あの老婆には生気がまったく感じられなかったことを思い出す。もしかすると、あの老婆はそもそも蜃気楼の一種なのかもしれない。するとあのバスも蜃気楼であり、目の前のあのバス停だって蜃気楼なのかもしれなくなる。それならば、このバス停すら蜃気楼と考えたほうが自然であり、ついでに自分も蜃気楼であると主張したくなるのは致し方ないことだ。それに対する反証になりそうなものはここにはない。そうしたら、今までの旅は何だったのだろう、ということになる。この蜃気楼の領域を一つの蜃気楼が、蜃気楼に惑わされながら、さまよい歩いていたと言う事にでもなるのだろうか。

 蜃気楼でも腹は空くのだろうか。長い間日光に晒され、薄くかすれた文字を読むのに疲れて、腹を押さえてその場の地面に腰を下ろした。ベンチの脇においてあった荷物を引き寄せて食料を確認する。ほし芋もカロリーメイトもなくなってた。今回のたびに得た教訓の一つは、カロリーメイトは口の中の水分を取るから、砂漠ではやめたほうが言いということだろう。東京銘菓ひよこも同様の理由により避けるべきである。残っているものは水と、ガチガチになってシチューにでも漬け込まないと食べられそうにないパン、あと現地語でカタ・ジュタと呼ばれる巨岩のほとりの村(木杆可汗に滅ぼされたエフタルの生き残りを名乗っていた)でもらったチコの実という不思議な味のする木の実一袋だけだ。やはりなんとしてもここでバスに乗らなければ。木の実を口に一塊放り込み、目に涙を浮かべながらバリボリ噛み砕いて、そう決意する。

 しかし、来ないバスを待つというのはなぜこんなにもイライラするものなのだろうか。昨日までならこの時間は、ただひたすら日が落ちることを待つだけだった。それまで待たないと、暑くて動けないし、星が出ていないと方角もわからない。前の戦争でGPSが使えなくなったせいだ。仕方がないから待つのであって、イライラはしなかった。だが今は仕方がなくないからイライラするのであろう。このバス停から少し歩いたところに、大きめの砂丘がある。あそこに登ればかなり視界が開けるであろう。もしかしたらオアシスでも見えるかもしれない。無駄とは思うが登ってみよう。

 立ち上がり、砂を払い落とし(無駄な行為)、日陰から一歩踏み出す。途端に強い日差しが、布越しに皮膚を炙る。心の片隅でやっぱやめようとも思うが、足は一歩一歩踏み出し続けている。次第に地面に勾配が出来てくると、砂に足を取られ始める。思わず地面に手をつけ、手のひらを焼けどしそうになる。登る端から、足元で砂が崩れ、体がずり落ちる。よく考えたら近くにオアシスがあるならこんなところではなくそこにバス停を作るだろう、と気づくがあまりに遅すぎる。足元だけを見て、前かがみになり、ひたすら登る。すると目の前の地面に、一筋の影が伸びてきた。びっくりして顔を上げると、スーツにネクタイ姿の男が、脇にかばんを挟んで、ハンカチで汗を拭きながら、まぶしさに目を眇めて紙切れを覗き込んでいる。

 「あれぇ、おっかしいなぁ。地図だとこっちでいいはずなんだがなぁ。いつまでたっても郵便局は見えてこないしなぁ。どっかで間違えたんかなぁ。もしかしたら、さっきの交差点で曲がらなきゃいけなかったのかなぁ。あっ、でもバス停があそこにあるんだからぁ。あ〜あ、先方、おこってるだろおなぁ」

 とぶつぶつ言いながら、目の前を通り過ぎ、どこかへか歩き去っていってしまった。あれも蜃気楼の一種なのだろうか。

 頂上に着いた。袖口で額の汗を一拭きすると、周りをぐるりと見回す。予想していたことだがあまりにだだっ広い光景がそこに広がっていた。バスが向かっていったほうに、奇妙な形の岩が見える。蜃気楼でなければ、あれが「らくだ岩」なのだろう。その向こうにある筈の、池だか、池の跡だかは見えなかった。翻って、町の方向(バスが来たほうだからこういっているわけだが、バスが真っ直ぐにこちらに向かってきたという証拠は別にない。しかし、砂漠の真ん中でグネグネと方向転換する理由も思いつかない)を見ると見事に何もない。もう少し何かあってもいいのではないかと文句の一つもつけたくなるくらいである。いや、かすかに何かが見える気もする。地球の丸みに大部分を隠されているが、あれは超高層ビルの先端部分ではないだろうか。暖められた空気のためにもやが起きて、はっきりは見えないのだが。もしあれがそうなら、歩いてでもたどり着くことができるだろう。しかし、もうこの旅の途中で何度も悪質なジンどもに化かされている身とあっては、目に見えるというだけでやすやすと物事を信じるわけにはいかない。あれが蜃気楼の悪戯でないとも限らない。それだけでなく今では、あのバス停でバスを待っているうちに、この先に存在するという町なんてのもそもそも幻に過ぎず、実際にはそんなもの影も形もないんじゃないか、数多くの亡霊どもが、その幻に騙されるか、もしくは共犯的にそこに住み込んでいるだけなんじゃないかという気がしていたのだった。

 目を砂丘のふもとの、バス停の反対側に移すと、何か四角く赤いものが、砂に半ば埋もれかけているのが見えた。ものはついでと、そばまで寄ってみようとすると、下りなので油断したのがたたって、足をとられてほとんど転がり落ちているような感じになってしまう。こんなことならダンボールの切れっはしでも持っていればよかった。

 近くで見るとそれは、土台を砂に覆われた自動販売機だった。これは地獄に仏とさらに駆け寄ると、補充がこまめに来ていないのか、「つめた〜い」の方はほとんど売り切れである。ただ、瓶に入っている「サスケ」というものだけ、切れていないようだ。背に腹は帰られない、売れ残っている理由も気になるが、これを買おう。ポケットから財布を出して、小銭入れを見ると、途中で出会ったベドウィンに「いつか役に立つから持って行け」と言って渡された変造500ウォン硬貨がジャラジャラ出てくる。これは今では使えないはずだし、「監視カメラが設置されています」との表示もあるので、確かめてみる勇気もない。見渡しても、どこに監視カメラがあるかは分からなかったが。しかし、こんなもの何に使えばいいんだろうな、と思いながらコインを入れ、ボタンを押すと、ガタンと音がして、手応えがあった。埋もれていた取出し口を両手で掘り出しながら手を突っ込むと、指先に感じる思わぬ熱さを感じ、思わず手を引っ込めようとして、取り出し口の下顎とプラスチックの蓋いの間に手首を複雑に引っ掛けた。

 「ぎゃあ」

 誰も聞くもののいない悲鳴を上げる。

 いったいどういうことだ。あまりの暑さに清涼飲料水までアッツアツになってしまったのかと中を覗き込むと、そこにチョコンと鎮座ましましていたのは、あったか〜いコーンポタージュであった。「なにが、あったか〜いだ、あるわけねえだろ」と、機械を蹴っ飛ばすと、ピピピピピとルーレットが作動して、大当たり。ほっかほかのお汁粉が落ちてきた。ここで死ぬのか、と思った。

 最初は管理者に抗議してやろうと思ったが、近くにそれらしき建物はないし、だったら監視カメラに向かって文句を言ってやるとも考えるが、いったいそれがどこにあるのかも分からない。監視しているなら、こっちからあたりだろうとあたりをつけた方向、北北西仰角60度の中空を睨み付けて、しばらく強面のクレイマーを演じていたが、もしかしたら音声は録っていないかもしれないな、と考えると徒労感に襲われ、日陰のバス停に帰ることにする。今このときにもバスが来ているかもしれないのだ。置いておくのももったいない、金で買ったもの出しな、と二つの缶は衣服に包み込んで持って帰ることにする。夕飯時にパンをやわらかくするのに使えるだろう。先ほど転がり落ちた斜面を、足を取られながら、今度は背中に強い西日を受けて登っていく。汗がとめどなく出て行く。太陽が視界に入らないのが救いだろうか。腕で何回も額を拭うが特に効果がない。手元から、布に包まれているとはいえ、確実に伝わってくる温みが憎い。いったい自分が一歩一歩登っているのか、滑り落ちているのかも分からなくなりそうだ。長く続く苦痛は時間感覚を狂わせる。いったい自分はどれくらいこの斜面を登り続けているのだろうか、どれくらい長い間バスを待っているのだろうか、どれくらいこの砂漠をさまよっているのだろうか。誰が何のために。

 ようやく峠を越えた。あとは少々遠回りでも、日陰を選んで歩いていける。一息つきながら歩いていると、先ほどの教訓をまったく生かせず、またもや砂に足を取られて転んでしまう。手元からお汁粉がころころと転がり出る。

 「待て、お汁粉、待て」

 昔話のおむすびのようにころころと坂を転がり落ちるお汁粉を追いかけて、坂を走り降りる。なんだ、まだまだ元気ではないか。砂煙を上げながらヘッドスライディングをしてセーフ。頭に巻いていた布っ切れをはずして抑え込む。すると不思議なことに気づく。明らかに重力以外の力が缶にかかっているのだ。そう気づくと、コーンポタージュのほうの缶にもどこかへ引き寄せられる力がかかっている。いったい何なのだと考える暇もなく、足元の地面が崩れ去った。

 流砂だ、とまず思った。地面が擂鉢上に陥没して、中心に向けて砂が流れ落ちていく。体勢を立て直しながら、脱出を図ると、けたたましい吼え声が、辺り一面に響き渡る。蟻地獄の中心から巨大なクワガタような化け物が顔を出した。全身はよろいのような装甲に覆われている。

 怪物は顔についた大あごの付け根から、天空に向けて虹色の怪光線を放つ。すると、二つの缶を引っ張る力が一段と強くなった。あれが磁力の元だ。あれに引き寄せられているんだ。アルミ缶だったらこんな目にあわなかったのにと、心底悔しがる。

 奴の姿には見覚えがあった。絵でしか見たことがなかったが、まさか実在していたとは。あれはアントラー、5000年前、幻の町バラージを襲い、ノアの神によって倒された怪物だ。おそらく、あの光で飛行機を落とし、人間を食って生きてきたのであろう。拳銃を取り出そうかと思ったが無駄だろう。あの磁力に引き寄せられて取り落としてしまうかもしれないし、どの道、拳銃の弾ではあの装甲は突き通せない。あいつを倒すただ一つの方法は、ノアの神が残していったといわれる伝説の「青い石」だけだ。

 倒すことはできなくても、逃げなくてはいけない。まだバスにも乗っていないのにこんなところで死ねるか。何とか蟻地獄の中からは抜け出せたが、相手も這い出してこようとする意思を見せている。二つの缶は相変わらず強い力で引き寄せられている。こんなものが欲しければくれてやるとばかりに、お汁粉を投げつけた。いらないのかと思えば持って帰ろうとし、追いかけたかと思えば投げつけるなどつくづく矛盾している。アントラーは投げつけられた缶を両手で受け止めたが、思わぬ熱さに、ショートかサードがぼてぼてのあたりを急いでファーストに投げなければいけないときに、手元がおろそかになっていたために、手からボールがすっぽ抜け、何とかしっかりつかもうとするのだが、ボールはなかなか手につかずに、まるで何か熱いポテトか肉まんでもつかもうとするような様子を見せるように、缶を両手の間でお手玉させた。その隙に、磁力の影響範囲の外へと逃げ出した。基本的に自らの力の影響範囲外までは追いかけてこない習性のようだ。逆2乗則万歳である。

 命からがら、バス停の麗しき日陰の中に飛び込んだ。コーンポタージュを地面に放り出し、温みの残る布で顔中をぬぐった。走ったので、肺に穴が開いたように苦しく、胸の鼓動は肋骨が折れるのではないかと思うほどだ。仰向けに倒れて、立ち上がる労も惜しんで懐から水を出し、浴びるように飲んだ。とたんに空になってしまう。残りはカバンの中に一袋だ。

 バスが来た形跡は無かった。来ていれば自動販売機の場所でも、あの丘の途中でもわかったはずだ。あらためて、怒りがわいてきた。いったい何をやっているんだ。渋滞にでも巻き込まれたのか。砂漠の真ん中で、行儀正しく一列になって並んでいるのだろうか、流れている反対車線をうらやましげに眺めながら。それとも、あまりにも混んでいるものだから、横の小さい小道にでも入っていってしまったのだろうか、普通バスはそんなことしないが。そして道に迷ってしまったのだろうか、門も壁も階段も無い迷路の中で、アラブの王に復讐をされたバビロニアの王のように。そんなばかな。一体どこで油を売っているんだ。普通バスの運転手は、油を買うことはあっても売りはしない。石油でも掘り出したのか。石油なんか今はほしくもなんとも無い。温泉でも湧き出してくれないかなとは思うが。

 本当にあっちのバスにでも何でも乗っていればよかった。蜃気楼でも何でもよい。もうこうなったら幻だろうが現実だろうがたいした差はない。すべては砂漠の蜃気楼だ。いや、この砂漠だって蜃気楼なのかも知れない。すべてが蜃気楼に過ぎないとすれば、この世は一体なんだろう。何が蜃気楼の後に残るだろう。蜃気楼を起こしているのは何だろう。蜃とは巨大な蛤のことだ。蜃気楼とは、この蜃が吐く息の中に見えるものだという。蜃の脂からつくった蝋燭をつけてもその幻の楼閣や美女が見られるらしいが、蜃気楼よりは劣ると聞いたこともある。小さい蛤なども、確かにぬめっとした粘液のようなものを出していることがある。あれをパラシュートのように使って、水の中を移動するらしいのだが、それなら巨大な蛤、蜃の出す巨大な粘液のもやの中に、さまざまな幻惑する像が浮かんでもおかしくないのかもしれない。彼らはそれを使って時空を移動するのかも知れないではないか。

 すると、このバス停も、バスも、あの老婆も、自動販売機も、コーンポタージュも、そしてここに寝転がって、よしなし事を考えているこの哀れな浮浪者も、その蜃とやらの作り出した幻なのだろうか。どうせ見せるならもっとほかに良いものがあろうに、とも思うのだが。だいたい、大蛤が砂漠に何の用があるのだろうか。蛤は海に住んでいるものだろう。

 もしかしたら、昔ここは海だったのだろうか。蜃はそのころからここに住んでいて、そして今では砂の中で眠り続けているのではなかろうか。そして夢を見続けている。その夢が蜃気楼なのではないのだろうか。だから砂漠の蜃気楼は、遠くに広がる水場という形で現れるのではないだろうか。それならばどうして今はその夢を見てくれないのだろう。蜃気楼が蜃の見る夢なのだとしたら、見たい夢を見られるとは限らないことをせめても仕方が無いが。特にこんな暑いさなかでは。

 だめだ、考えがまとまらない。脳が茹ってしまいそうだ。立ち上がって、もう一度時刻表を確認すると、一時の次は六時である。今が大体四時ぐらいだから、後二時間くらいある。こんなところでは眠ることもできない。寝ているうちに日陰が移動して、目を覚ますことなく干物になってしまうだろう。紙に「近くで穴を掘って寝ています。起こしてください」と書いて、セロハンテープでベンチに止めておく。風で吹き飛ばされないように四方をガチガチにしておいた。そして、カバンから折りたたみスコップを取り出して、丘のふもとの日陰のほうに向かう。砂漠でも地面の下は比較的涼しい。砂漠の動物の中には、土の下で夏眠する者もいる。「水出て来い。温泉でもかまわん。今とりあえず石油はいらない」と呪文のように唱えながら穴を掘る。掘りながら、自分のたびの目的について考えたりした。頭がぼうっとしているからか、よく思い出せなかった。なんで、砂漠なんかさまよっているのだろうか。そもそもの旅の始めはどうだったか。思い出せるのは、砂浜を海に向かって走っていく自分の姿だけ。これが走馬灯というやつなのだろうか。やはりもうすぐ死ぬのだろうか。思わずにやけながら掘り進むと、スコップの先に何か硬いものが当たる。キャプテンキッドのお宝でも掘り出したかと思って、よく調べてみると、それは巨大な貝殻だった。さてはヴィーナス誕生と思って開いてみると、中は空。何かが入っていた痕跡は無い。最初は落胆したが、手で触っているうちに、内部はなかなか手触りがよく、何よりひんやりしていることに気がついた。穴は十分なほど掘ったし、人一人入るにはちょうどよい大きさだ。しばらくこの中でうずくまっていようと思って中に這いこんだ。

 中は薄暗く、ひんやりしていて、こころもちしっとりしていた。貝殻の蝶番は開きすぎることなく閉じすぎることなく、ちょうどよい加減を保っていた。とたんに瞼が重くなり、とても目を開けていられなくなった。ここには眠りの砂は有り余るほどあるというわけだろうか。瞼が閉じてしまう寸前、貝殻もまた閉じ始めているのが見えた気がした。薄れ行く意識で、もう一度この旅の始めを思い出そうとしていたような気がする。もしかしたら、あの海岸へ走っていくのが、この旅の本当の始まりだったのではないだろうか。この砂漠はもしかしたら巨大な砂浜なのかもしれない。旅人が自分の目的地を忘れてしまうほど巨大な………‥‥‥‥・・・・・

 

 

 どれくらい経ったかはわからなかった。わかることは星が見えること、つまりもう夜だということ。たくさんの穴のあいた真っ黒い暗幕のような夜空をただ見上げ、その向こうにある光について思いをはせていたとき、ふと自分が目覚めていることに気づいた。そしてとっくの昔に六時は過ぎていることに気づいたが、もうどうでもよくなってしまっている自分を発見した。そして、何かの音を聞いた。それが正確に何かはわからなかったが、それが心ざわめかせるものであることは感じた。体を起こして貝殻から這い出し、星降る夜空の下、降り積もった星のようにきらきらする砂粒をつかんで、穴倉から顔を出した。目の前のものが信じられずに外そうとしたサングラスを、思わず取り落とした。そして自分が望んでいたものがとうとう来たことを知った。

 潮が満ちたのだ。

解説

部誌「葡萄 vol.2」に発表した作品。

こういう非日常的な舞台に妙に日常的な描写を持ち込むことが面白いと思いはじめた時期の作品。

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