淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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The road to hell is paved with good intentions

穴屋

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穴屋

 客が欲しいのはドリルではなく、穴である。

 その言葉を信じた男が務めていた会社を辞めて開いた店が「穴屋」である。

 「いらっしゃいませ」

 店に入ると、陳列棚にずらりと穴が並んでいる。小さな穴、大きな穴。形状も様々だ。大きく「貫通」と「非貫通」に分類されているようだ。

 「どんな穴をご所望でしょうか?」

 店主が気さくに話しかけてくる。

 「いや別に、これ、というものはないんでけど。もしもいい穴があったら買おうかなとは思っていてね」

 適当に返事を濁す。

 「そうですか。この棚の商品は手に取っても結構ですので、どうぞご自由に」

 おそらくあんな言い方では冷やかしだとばれてしまっているのだろうが、店主は笑顔を崩さない。

 私はそう言われて、一番手近にあったものに手を伸ばした。

 「これは?」

 ラベルには、サイズだけが書いてある。

 「それは量産品の穴です。これと言った特別な性質はありませんが、なんにでも使えますよ。周囲の素材も選びません」

 「へえ」

 私は穴を自分の手のひらの上に乗せる。貫通型なので、穴を通して店主の顔が見える。私は手のひらを裏返して反対側も見る。

 どこからどうみても、なんの変哲もない普通の穴だ。

 そこではたと困る。

 私は店で商品を手に取るときは、店員に嫌がられるほど矯めつ眇めつする。そのいつものプロセスで言えば、ひっくり返した後は、くるくる回すのだ。

 しかし、どうやって穴をくるくる回すのだろうか。私は懸命に手のひらを回そうとした。しかし、これで穴は回るのだろうか?

 「すみません、質問ですが、穴が空いているものを回したとき、穴は回るんですか?」

 店主は、笑顔を崩さない。

 「それに関しては今のところ定説がないんですよ」

 もしかしたら、今までにも何回も答えた、よくある質問なのかもしれない。店主は慣れた様子で説明を続ける。

 「存在論、というものが関わってくるみたいですね。この店を開く許可を得るために、そもそも穴が売れるものなのかどうかが問題になりましてね。哲学者を雇って、穴が売り物になる存在論を構築してもらったんですよ。その時の話では、今のところ穴が回転するのも回転しないのも一長一短があり、まだ決定できないそうです」

 「そうなんですか」

 私が曖昧に笑うと、店主は話すのを止めた。思った以上に熱く語られてしまって困っているのを店主も察してくれたようだ。私は穴を棚に戻すと、話を変えようと店を見回した。

 「賞品はこれで全部なんですか?」

 「いえいえ、大きな商品や特殊な商品は奥の倉庫に入れています」

 「大きな、とはどれくらいですか?」

 「一番大きいのですと、この店がすっぽり入るくらいですかね?」

 「この店が? それをどうやって倉庫に?」

 「普段は折りたたんでるんです」

 なるほど。倉庫が見てみたくなった。

 「あと、ちょうど人が入るサイズの穴にも結構な需要がありましてね。落とし穴にする人や抜け穴にする人。一度なんて、店に駆け込んできたかと思うと、いきなり入る穴をくれと私をせかしはじめて、穴を出した途端に中に飛び込んでしまった人もいました。よほど恥ずかしいことがあったんでしょうね」

 店主の話を聞きながら、小さな穴が沢山並んでいる棚を眺める。その穴とちょうど合うネジのサンプルも展示されている。

 「これは、ネジだけはあるのに穴がないから、はめる穴を買うんですか?」

 口に出してからそのおかしさに気付く。適当な穴にネジを閉めても意味がない。

 「ええ、とにかくどこでもいいから余ったネジを閉めたい、というお客様もいないことはございませんね」

 客の言う事を無下に否定しないのは、さすが慣れているなと感じられた。

 「でもよくいらっしゃるのは、ネジをはめたまま穴を失くされてしまい、ネジが外れなくなったお客様ですね」

 それは確かに困るかもしれない。

 そんなことを話していると、他の客が店に入ってきた。その男は私と店主の間に割り込むと、いきなりポケットを裏返しにした。ポケットの中は穴だらけだった。

 「すまんが、この穴、買ってくれないか?」

 店主はそれらの穴を軽く眺めたかと思うと、顔をあげた。

 「これはなんの穴ですか?」

 男は口ごもる。

 「しらねえよ。家じゅうから適当にかき集めたんだ。おっと、これは分かる。これはTシャツの穴だよ。穴が空いてたからハサミで切り取ったんだ」

 「これは予定の穴ですね」

 店主は目にモノクルを嵌めると、穴の一つを手に取る。

 「しかしどうやらすでに過去のもののようです。こちらの人員の穴も同じですね。残念ですがお取り扱いしかねます」

 「おいおい今すぐ金が必要なんだよ。金が出来れば仕事もできるし予定だって入る。そしたら、商品になる人員の穴や予定の穴だってできるかもしれねえだろ?」

 「わたくしどもとしても、何とかしてお客様のお手伝い出来たらと考えていますので、非常に残念です。もし、お財布に開いている穴が見つかったら、お取り扱いできるかもしれないので、またの来店を心待ちにしています」

 その慇懃無礼な態度に鼻白んだ男は、文句を言いながら、店を後にした。

 私が店主の顔を穴が空くほど見ていたからであろう、店主は苦笑いしながら言い訳をしはじめた。

 「ときどき変なお客様もいらっしゃるんです。穴は世界に満ち満ちていますからね。自分の持っている穴も売れるだろう、と思うのでしょう」

 「もっとしつこいのもいるんですか?」

 「いますいます! 自分が食べたドーナツの穴やらちくわの穴やらを買い取らせようと、1時間以上粘った方もいましたよ。あと、骨董品を持ち込む方もいますね。本物かどうか鑑定も難しいし、たとえ本物でも盗品かもしれないので、出所の明らかなものしか我々は買い取りません」

 「どんなものが持ち込まれたんですか?」

 「今までで一番すごかったのは、『南海の帝と北海の帝が混沌を殺したときの七つの穴』というやつですね。お聞きになったことありませんか? 『荘子』の内篇應帝王篇の一節です」

 「おぼろげにでしたら」

 とっさにごまかしてしまったが私は、南海の帝と北海の帝が、目も鼻も耳も口もない美少女である混沌に穴をあけてあげようと、七日間に渡って犯し続けて殺してしまうエロ同人誌を出したことがあり、この話題は少し気まずくなってしまう。

 「でもいずれは、そんなすごい穴を持ってみたいものですね。売り物というより、店のコレクションとして。以前マイクロブラックホールを収容するための施設を建築屋さんに見積もってもらったこともあるんですよ。返ってきた額にびっくりしてしまいましたが」

 さっさと話題が移ってくれて、ほっと胸をなでおろす。

 店内を歩きながら話していたら、穴自体ではなく、穴に関係する商品の陳列棚に来てしまった。

 私はその一つの奇妙な器具を手に取った。

 「これは?」

 「それはですね。失礼」

 使い方が分からず困惑している私の手からその器具を受け取ると、店主はそれでドーナツや連結浮き輪を計測し始めた。液晶に、穴の数が表示される。

 「これは、ホモロジー、というものを計算して、穴の数を調べてるんですよ」

 「へえ」

 一瞬関心しそうになるが、すぐによくわからなくなる。穴の数なんて、見ればわかるではないか。

 そんな私の疑問はお見通しだというように、店主が説明を続ける。

 「もしこれで計測が出来れば、目に見えない物や全体を見ることができない物に開いている穴の数も調べられるんですよ。たとえばこの宇宙全体とかですね」

 宇宙に穴が。私がイメージしたのは、先ほど話に出たブラックホールだ。しかしどうやら違うらしい。

 「このドーナツの上に二次元的な蟻が住んでいたとしますね。その蟻は前後左右しか見ることはできず、上も下も見られない。そうしたら、普通に歩いている分には、この大きな穴の存在には気が付かないでしょう。でも、この蟻が例えば自分の世界の辞図を作ったとします。すると多分、四角い紙に、右と左が、上と下から、繋がっているような地図を描くんじゃないでしょうか。テレビゲームの地図が時々こうなっていますね」

 店主は紙に簡単な図を書きながら、分かりやすく説明してくれた。

 「同じことが、原理的にはこの宇宙にもできるわけです。あくまで原理的ですけどね。でもほかにもあるかもしれません。いつか私は、いろいろなものを計測して、そういう目に見えない穴の存在を明らかにしたいと思っているんです」

 店主の目の色が変わり始めた。

 「実は世界を支えているのは穴なのです。かつてパルメニデスは言いました。世界が変化するためには、穴が必要だ、と。ところがパルメニデスは、穴の存在を否定します。それによって、変化する世界も否定してしまうのです。それって明らかに非合理じゃないですか。世界は実際に変化しているのに。パルメニデスが証明したのは、世界は変化しているのだから、世界には穴がある、ってことのはずなんですよ。パルメニデスはもう一つの方法で穴の存在を証明しています。彼はこう考えました。無があると仮定する。すると矛盾が起きる。つまり、無は無い。これってつまり、この世界には無いものがあるってことの証明じゃないですか。つまり無はあるし、穴はあるんですよ。パルメニデスはそれを実際に穴を観察することなく、理性の力で証明しました。確かに論証の多少の穴はありましたがね。しかしその穴も、すでに私のコレクションの一つです。重要なことは、この世界には、観察できなくても存在する穴はあるし、それをいろいろな方法で見つけることができるってことです。ディラック方程式を解くと、負のエネルギーの解が出来てしまうそうですね。もしそうだとすると、世界のすべては負のエネルギーにどんどん落ちて行ってしまいます。そうならないためには、世界はディラックの海と呼ばれる負のエネルギーを持つ粒子で満ち満ちていないといけないわけです。そして、その負の粒子の『穴』として反粒子の存在が予想され、後に確認された。今では理論が進んで、反粒子を穴と考える必要はなくなってしまいました。しかし、いつ何時、我々の存在が我々を包むものの『穴』であると判明しないとも限らないのです。だからこそ、穴とは何かを感覚ではなく、数学的な正確さで計測する必要があるのです。そのために、私はこれらの計測技術をさらに研究・改善し……」

 店主の話には終わりが見えなかった。その言葉は私の耳の穴から入って、全身の穴という穴から抜けていった。

 私にはだんだん店主が言葉の奔流がただ湧き出てくる大きな穴に思えてきた。

 「また来ます」

 しゃべり続ける店主に一言だけ言って、私は店から逃げ出す。道を歩きながら、懸命に鏡になるものを探した。それを見るまで、自分が大きな暗い穴か、さもなくばスポンジやスイスチーズのように全身穴だらけになっているという妄想から抜けることができなかった。

解説

穴よりドリルのほうが楽しいと思うんだけどなあ。穴だって、沢山あけられるし。客の考えることは分からん。

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