アドブロック
昔々、この世を広告が覆った時代があった。建造物の壁面にいくつもの派手派手しい看板が並び、地面や壁にも隙間なく人々の興味関心を引こうと怪しげな惹句が踊った。地上を走るもの、空を飛ぶもの、水上をいくもの、地下を行くもの、人々の移動手段全てがいくつもの広告を引き連れて世界を行き来していた。それは人々自身もそうであった。彼らの服の柄は全て広告であり、彼らは彼らがどれだけ優秀な広告塔であるかで選別され、位を授かっていた。認められれば認められるだけ彼らに宣伝してもらおうと人々が集まり、彼ら上流階級の者の着るドレスやスーツは歪なほどに広告に溢れ、ついには平面を離れ立体的に立ち上がった。彼らの喋る言葉は一分の隙間なく全て広告である。上流階級の人間に広告して貰えると言うことは、それは成功を確約されたようなもの。すなわち自分も上流階級の仲間になれるということ。
どんな時代にも、時代に順応できない者がいるものだ。ここにも一人いた。彼女は広告が嫌いだった。広告でないものを懸命に探した。
しかし無理だった。全ての広告は、他の広告を広告していた。今見るべき広告は何か。今年一番流行った広告はなんだったか。知られざる良い広告の紹介。
そんな広告に溺れるある日、彼女はある広告を見た。見た気がした。それは全ての広告を視界から削除するAdBlockと言う存在を広告していた。しかし、そんなものがあるのだろうか。存在し得るのだろうか。確かめようにもすぐに毒々しい原色の濁流が彼女の視界を覆い、大音量のキャッチフレーズの連呼が彼女の聴覚を奪ってしまった。
その日から彼女の旅が始まった。広告の広告を辿り、どこまでも遡り続けた。彼女は諦めなかった。世界のあらゆる場所へと足を運んだ。全ての頂きを登り、全ての門を叩いた。海が世界の端から流れ落ちるのを見た。星々が死を迎え、新たに生まれる霧深い場所も見た。生まれることのなかった者たちの忘れられた王国、円環の廃墟で瞑想をするどこにも辿り着くことのない時間を生きる賢者たち。
しかしそれでも求めるものは手に入らなかった。
賢者たちは言った。私が誰かを夢見たように、私も誰かに夢見られているのだ、と。
これはお前の話でもある。賢者たちはそう言った。
彼女は次第に広告を受け入れた。広告を拒否することは世界を拒否することになる。それは不可能なのだ、と賢者たちに教えられたような気がしたからだ。
確かに広告は彼女に全てを約束し、何も与えず、全てを奪っていった。広告以外の世界の全てを。
ならば広告をそれ自体として受け入れるしかない。何も自分に約束しない、世界自体として。
そうだ。広告はどこにも繋がらないのだ。広告は何も広告しないのだ。広告をそれ自体として受け入れた時、広告は広告ではなくなるのだ。
彼女は悟った。彼女こそ、AdBlockだったのだ。
こうして彼女はようやく目を瞑ることを覚えた。そして全ての広告は消えた。世界もろとも消えた。彼女もろとも消えた。
この世界も、そして彼女も、また他の広告を広告する広告であったからだ。