淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Long Live The New Flesh

爆発

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爆発

 大変なことが起きた。爆弾が爆発したのだ。なぜ爆発したのか。それは爆弾が爆発する物だからだろう。爆発しないのなら、それは爆弾ではない。しかしそれは、爆弾が爆発する理由には厳密にはならない。それは単に、爆弾が爆弾である条件は潜在的に爆発する可能性を有することだ、と言っただけである。ある瞬間に爆弾が爆発した理由は別に求めなければいけない。では、その理由とは何だろうか。ここで反対に、爆発しない物について考えてみよう。たとえばりんごは爆発しない。いや、言い直すならば、この世界ではよっぽどのことがない限り(反粒子と反応させるとか)おそらく爆発しないであろう、きっと。じゃあ、りんごが爆発しないから、変わりに爆弾が爆発するのかというと、それはもちろんおかしい。りんごが爆発しないからと言って、爆弾が爆発しないとは限らない。バナナが爆発するかもしれない。まあ、バナナは爆発しないだろうが(りんごが爆発しないのと、同程度の確かさで、バナナも爆発しない、と思う)圧力鍋なら爆発する。それではなぜ圧力鍋ではなく、爆弾が爆発したのか。その前に、本当に爆発した物は爆弾だったのか。圧力鍋ではありえないのか。何をもって、爆発したのは爆弾であって圧力鍋ではない、と言うことを、なるほど確かにそうだべなぁ、と人々を納得させるのだろうか。どう演繹的に、論理的必然的に証明するのか。そうするためにはいったいどれくらいの、どんな種類の証拠が必要なのだろうか。もし証明することが、できない相談だと言うのなら

爆発したのは爆弾じゃなくても、たとえばりんごでもいい、と言うことになってしまうのではないだろうか。

Universe

 大変なことが起きた。爆発したのは爆弾ではないのかもしれないのだ。りんごかもしれないのだ。事件の急展開に捜査班は騒然とした。一体全体本当にりんごなんかが爆発したのであろうか。仮に、りんごが爆発したとしよう。するとどうなるであろうか。普通は、部屋が汚れるであろうな。しかし、果たしてテロリストたちが、電子レンジで卵が爆発したのでもあるまいし、部屋を汚すためだけにりんごを爆発させるだろうか。あの恐ろしい、国家転覆を虎視眈々とねらっているテロリストがである。わざわざ、おそらくは爆弾を爆発させるよりも難しいであろう、りんごを爆発させると言う行為によってまで(爆発するものを爆発させるよりも、爆発しないものを爆発させる方が、難しいような気がする)。そこまでして部屋を汚したいか。いや違う。何か別の目的があるはずだ。それは何であろうか。それが見えてこなければ事件の真相は見えてこない。あと少し、あと少しで、点と点が線となり、絡まった糸がほぐれるように、疎水コロイドに少量の電解質を入れたように、真理への見通しがつくと言うのに。なぜ、彼らはりんごを爆発させねばならなかったのか。

 こういう仮説は立てられないだろうか。これはひとつの脅迫であり、今回の事件は「俺らはやろうと思えばりんごを爆発させることだってできるかんな、どおだ、参ったか」と言うメッセージではないのだろうか。そう考えると、これは恐ろしいことである。りんごを爆発させる程の超絶科学技術を持ってすれば、りんごどころか、梨、マンゴー、水、空気、怒り、不満、電子レンジに入れた卵、爆弾、原子力発電所など、さまざまなものを爆発させることができるのだろう。考えてもみたまえ、もし国会議事堂に原子力発電所を仕掛けられ、それを爆発させられたら、いったいどんな事態になるかを。いまや、われわれを含めた国民全体が人質にとられようとしているのだ。

 いや、だめです。落ち着いてください。混乱しないでください。ここで慎重に行動しなければ、ますますあいての術中にはまることになるのです。あわてたらテロリストたちの思うつぼです。

 考え方を変えれば、別の仮説だって成り立つのです。たとえば、爆発があった、ということ自体が嘘であり、敵の陰謀であり、われわれをたばかるための計略だ、と考えても今のところはいかなる矛盾も生じないのです。先ほどと同じ論法で行かせてもらうならば、確かに爆発があったとする、いかなる証拠がありましょうか。その証拠がどのような性質で、どのような属性を持ち合わせているならば、その証拠を証拠として認められるのでしょうか。もしかしたら、われわれが手にした僅かな情報は、計画的に偽造されたものかもしれない。たとえ、私は現場を見た、確かに爆発はあった、と言う人物が現れたとしても、それは最新の脳科学による、作為的な偽記憶やもしれない。そんなことできるのか、ですって。思い出してください。相手はりんごを爆発させるほどの超科学の持ち主だと、先ほど言ったばかりじゃないですか。それくらいかれらにとってはお茶の子さいさいお茶漬けさらさらと言うもんです。

 しかしここまできて、結局わかったことは、何もわからないと言うことだけ、なんて冗談にもならない有様です。情報が求められているのに、どんな情報が必要なのかわからず、情報が足らないがために、情報を集めることすらロクにできない。まさしくにっちもさっちもどうにもブルドッグな事態です。八方塞なこの状況で、いまだわれわれに残された道なんてあるのでしょうか。

 もしかしたら、すべての探偵小説と同じように、われわれはスタート地点から間違えてしまったのかもしれない。だからわれわれもすべての探偵小説の基本どおりに、一度根源的なところに立ち返る必要があるのかもしれない。爆弾が爆発したのか、りんごが爆発したのか、何も爆発しなかったのか、くだらないことをだらだらと書くのはいい加減にしろと読者の怒りが爆発するのか、まったくもって何もわからないからこそ、これだけは今確かに確言できるぞ、と言えるものを必死に探さなければいけないのだ。その「もの」とは何か。それは、今まで文中でもっとも頻繁に出てくることから、この小説のキーワードはどうやら「爆発」だ、ということだ。それを裏付けるように、この小説の題名も「爆発」である。これはなにやら象徴的ではないですか。デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」から始めたように、カントがアプリオリな純粋認識についての考察から始めたように、われわれもわれわれにとって如何様にも否定できない大前提、題名から始めなおそうではないか。

 そもそもこの世界は、現代科学の示すところによると、大爆発によって始まったのである。原初の大爆発、ビッグバンである。誤差の恐ろしく大きい理論により、約百億年前と予想される時間前、何かが起こったと言うのだ。そのとき何がおきたかについては、今現在もほとんど何もわからないのである。しかしそのときの爆発の効果で、今このこの瞬間もこの宇宙は膨張を続けているのだ。つまりこの宇宙は、最初に爆発した何かの爆風であり破片なのだ。それでは、そのときいったい何が爆発したのであろうか。

 大変なことが起きた。最初に戻ってしまったのである。

 しかしここであきらめるわけには行かないのである。なぜならここであきらめてしまったら居間までの努力は水の泡になってしまう。もちろんそれは私の努力だけでなく、物好きにもここまで読み進めてきた読者の皆様の努力もであります。しかし私がいる限り、そんなことには絶対させません。僕負けないもん、だって男の子だもん。

 私は先ほど、この世界がビッグバンで始まったことについて書いた。それでは、「この世界」とはどの世界であろうか。もしかしたら、小説内で「この世界」と書いてあるならば、「この世界」とはその小説自体のことではないのだろうか。つまり、先ほどの「この世界」とは「この小説」のことではないのだろうか。議論が最初に戻ってしまったついでに、小説の最初の部分をもう一度見てみよう。

 「大変なことが起きた。爆弾が爆発したのだ。なぜ爆発したのか。それは爆弾が爆発する物だからだろう。爆発しないのなら、それは爆弾ではない。しかしそれは、……」

 おっとっとっと、危うく全部書き写すところだった。そんなことをしたら無限地獄にはまってしまう。

 しかしこれで、今までの議論が無駄ではなかったことがわかった。慧眼な読者はもうお気づきだろうが、この小説の最初では確かに爆発が起こっている。つまり「この小説」=「この世界」はビッグバンで始まったのだ。ああ、通りで話が闇雲に広がってしまって、書いてる俺でもこの小説がどこへ行ってしまうのかまったくわからくなるわけだ。この小説は膨張してたんだ。そして今このこの瞬間も膨張している。じゃあ、この小説はこの後どうなるのであろうか。

 現代の宇宙論では、宇宙の運命は三種類に分かれる。宇宙全体の質量が十分にある場合は、膨張していた宇宙は途中で収縮に転じ、最後には一点に収束する。ビッグクランチと呼ばれている現象だ。小説で言えば、これは十分なトピックや伏線を盛り込んで、結末へと収束していくタイプだ。あまりにも盛り込みすぎちゃった話が、意外と早く終わってしまうのは早すぎるビッグクランチなのである。

 宇宙の質量があるちょうどいい一点だと、膨張は次第に弱まるが、決して収縮には転じず、一定の大きさを保つようになる。これは、『サザエさん』や『うる星やつら』などのエンドレス系の物語に見られる現象である。

 宇宙の質量が少ないときは、膨張は途中まで弱まるが、決してある一定スピードよりは弱まらず、永遠に膨張を続ける。

 さらに最近の研究では、この宇宙にはダークエネルギーなるものが存在していることがわかっている。空間自体に膨張するエネルギーがあるというのだ。すると宇宙の膨張は、減速するどころか加速することさえありうるのだ。小説にも同じことが言える。文章自体に物語の鎖を解き放ってまで膨張しようと言う力があるのだ。『トリストラムシャンディ』を読んだものなら、書くことがすでに存在しなくなってすら小説を続けることができるという可能性を信じざるを得ないだろう。

 それではこの小説はどのタイプだろうか。明らかに三番目だ。なんてったって、中身なんてものはこれっぽっちもはいってない。その割のは文章だけはやけに威勢がよくて一人歩きして迷子になってしまっているし、一応のテーマだった「爆発」も爆発だけにどこかへぶっ飛んでいってしまった。わけのわからん似非物語論が始まってしまうし、結末なんてこっちが教えてほしいくらいだ。

 するとこの小説の未来には何が待っているのだろうか。決まっている。エントロピーが次第に高くなって(つまりだんだん書くことがなくなって)そのうち「熱的死」を迎えるのだ。何一つ新しいことがおきないまま永遠に小説が続き続けるのだ。

 大変なことが起きた。小説が終わらなくなったのだ。この小説はそもそも好意的に解釈するならば、どれだけ中身のない文章を面白く書くことができるのか、どれだけ中身のない小説を長く続けることができるのか、と言う実験だったわけだが(実際にはそんなことまったく考えなかったが)終わることができなくなるとは予想がつかなかった。このままこの小説が終わらないとしたら私は他のことが一切できず、ご飯も食べられず死んでしまう。大変だ。死ぬのはいやだ、誰か助けて。と読者に助けを求めても無駄だ。読者がこれを読むのは、もしかしたら私が死んだ後かもしれないのだ。ではどうすればいいのだ。

 そうだ、こういうときは村の長老に聞いてみよう、と私は思った。村の長老はいろんな伝説をたくさん知っている。しかし、最近では村の若い者はみな伝説を信じなくなってしまっていた。しかし長老の周りには今も、その歯のない、暗い洞窟のような口から訥々と語られる、時々筋が変わってしまう昔話を聞くために、子供たちが集まる。私も、昔はそうだったように。

 私も今では、その昔話をすべて鵜呑みにしているわけではない。だけど、なぜだか私は、それをみなのように全否定することはできないのだ。私は長老のもとを尋ねた。そして、この中身もないまま、だらだらと続く小説を終わらせる方法はないのだろうかと訊いたのだった。

 長老は、数秒間ほど何か遠い目をしていた。長い人生の中で、彼が聞いた数え切れないほどの物語が、風化しながらも彼の記憶のそこに沈殿しているのだろうか。私の言葉が、小石が池のそこの泥をかき乱すように、彼の記憶をざわつかせているのだろうか。彼はポツリポツリと語り始めた。

 「以前に、一度だけ聞いたことがあるのじゃが。ここからずっと北に行くと、ぶなの木に包まれた、神の住む山があるそうな。今頃は雪に包まれておるのじゃろう。そこの中腹、人里はなれた場所に、世を捨てた賢者がおってな、その賢者が、どんな物語でも、その言葉を発しただけで、たちどころに終わらせてしまう呪文を知っている、と言う話じゃ。」

 私はその話を聞くと、居ても立ってもいられなくなってしまった。すぐにでも出発しなければ、すぐに出発してその呪文を聞きだし、このくだらない小説を終わらせなければ。私は旅の準備をするために、その場を失礼しようと立ち上がった。すると長老が私の顔をじっと見据えているのに気がついた。

 「道は険しいぞ」

 「わかっております」

 「前にも若者がお前と同じ道を行った。そのものがどうなったのかはわしにもわからん」

 「必ずや、この小説を終わらせて見せます。人々が無意味に苦しまないためにも」

 「何も助言はしてやれないのじゃが」

 といって長老は、お守りのようなものを私に渡した。中には、魔法陣のようなものが書かれた札が入っていた。

 「これをいつも身に着けておりなさい」

 「わかりました」

 私はそれを懐に入れた。そのお守りが後に私の命を救うことになるのだが、話すと長くなるので省略する。そして私は出かけるのだが、そこで将来を誓い合った女性とのわかれもあるのだが、めんどくさいのでそれも省略。あと、旅先で一夜の宿の恩を受けた、心優しいきこりの話も、さっき将来を誓った女性が居るって話したばかりなのに、途中であったラブロマンスの話も、行く先々で私の邪魔をする謎の組織の話も、厳しい修行の話も省略。(ああ、エントロピーが高くなってる)

 そして十年後。

 私はまだ旅をしていた。

 そして二十年後。

 私はまだまだ旅をしていた。

 そして百年後。

 私はなぜかまだ旅をしていた。

 そして千年後。

 私は自分でもよくわからないのだがまだ旅をしていた

 時は宇宙世紀0086。

ティターンズが勢いを増し、ますますきな臭くなる時代のなか ...

 すまん冗談だ。ごめん。(ああ、エントロピーが)

 と言うわけで、私はその賢者の住処にようやくたどり行いた。(どういうわけかは訊かないでほしい)その賢者は何かもごもごと口ごもっている。私は、口に耳を近づけて、何を言っているかを聞こうとする。

 「私は驚く。なんとその賢者がもごもごと語っているのは、今私がいるこの情景自体ではないか。つまり、私が賢者の話を聞いている、そして私が話者としてそれを語っている、それをこの老人はぶつぶつとつぶやいているのだ。だから、この括弧に囲まれた文章は、前の字の文とつながっているように見えるが実は、老人が語っている言葉それ自体でもあるのだ。つまり、この老人が実はこの小説の作者だったのだ。あれなんかおかしいな、お前がこの小説の作者じゃなかったのか、という声もあるかもしれないが、ほっとけ、悪いのは全部エントロピーだ。そんなことよりも、と私は気を取り直した。この老人を止めなければ。この老人さえ止めれば、この小説は終わるのだから。

 『あの、賢者様。そろそろこの小説を終わるべきだと思うのですが』

 『しかし老人は、語るのをやめようとしない。相変わらずこの小説の文章自体を語るもんだから、括弧内括弧の二重括弧まで字の文を語り続ける。このまま無限に括弧内括弧の入れ子構造を続けることができるが、もちろんそんなことはしない。いい加減にしないと、ずっとキーボードをたたいているので肩が痛くなってきた。そもそも俺は、この老人にあらかじめ用意しておいた物語を終わらせる呪文を言わせて適当に終わろうと思っていたのに、思いつきでまた馬鹿な仕掛けを入れちゃったから、余計に終わりにくくしてしまった。これじゃ本当に終われないぞ。どうしようか。あっ、そうだ、終わり方を募集するなんてどうかな。だめだ、終わり方を募集するには、一度終わらなければいけない。ねえ、どうすればいいんでしょうね、賢者様。

 【ううん、そうじゃなあ】

 と、賢者は言った。

 あ、そうか。別に賢者が自分で自分の役をして語ることはできるんだ。でもさっきの【どうすればいいんでしょうね、賢者さま】は地の文だったから、実際に私が言った文章ではなく、私の前で賢者が、一人二役をしながら(私の役と自分自身の役)言ったことになるが、それは少し間抜けかもしれないな。

 ふう、今ご飯食べてきました。小説の文章では一行しかたってなくても、現実では一時間以上過ぎてるなんて読んでる側は気づきませんよね。なんだか、腹の皮が突っ張ったら、目の皮がたるんできたな。ほんとにそろそろ終わらさなきゃ。というわけで終わります。ひどい落ちなんですが、何回も言いますけど、悪いのはエントロピーであって私ではありません。あしからず。

 【そういやあ、物語を終わらす呪文ていったいどういう呪文なんですか】

 【それはな、日本の東北のある地方ではな、必ず昔話の最後につく言葉でな、こういうんじゃ、とっぴんぱらりのぷう

解説

年が変わる直前に何か小説をサークルに投稿しようと急いで書いたんだよ、確か。

しかし「とっぴんぱらりのぷう」という言葉の響きには天才的なものを感じる。

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