淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Long Live The New Flesh

ring ringing ringinging

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ring ringing ringinging

 PURRRRRRP, PURRRRRRRP, Pi!

 電話が掛かってきたら普通出ると思う。君だって現に出たじゃないか。だからそのことで僕を責めるのはお門違いというものだ。確かに、電話に出てみたら、その向こうでまた電話が鳴っている音が聞こえているだけというのは、あんまり普通とはいえない状況だから、そこで気付くべきだ、と言われればそれくらいの非難だったら聞くくらいはしてもいいかな、とは思うけど、でもそういうことを言う人たちが僕と同じ状況下におかれたときに、彼らが言うような「冷静な判断」とやらができるかははなはだ疑問なので、僕は別に彼らのお説教に説得力を感じたりはしない。そうさ、僕は冷静な判断が出来ずに、普通なら絶対に引っ掛からないような罠に自ら飛び込んでいった。おかしな電話が掛かってきたら、なによりもまずすべきなように、電話を切ってしまう、という常識的な対処法を取らずに、僕は骨伝導の携帯電話を頭蓋骨と一体化させて、その鳴っている電話を探して、ふらふらと彷徨い出てしまった。しかし、もう一回だけ言い訳を許して欲しいのだが、これは意外と悩ましい罠だったのだ。例えば、電話に出たら、「お掛けになった電話番号は、現在使用されておりません」なんて言われたり、「ただいま留守にしておりますので、御用の方はピーという発信音の後にメッセージをお吹きこみ下さい。ピー」だなんていう声が聞こえて着たりすれば、確かに「謎」と言う点では今回のケースと似ているように見えるかもしれないが、それでもここには重大な差異がある。それはこの二つは通話を切ってしまえば、謎もそれと一緒に雲散霧消してしまい、多分一時間もすれば本当にあったことだったのかも怪しくなってしまい、今となってはいい思い出だよ、なんて、飲み屋のママに語ったりなんかしてるんだろう。でも、今回はそうはいかない。回線を切ったって何の解決にもなりはしない。なぜなら、この電話を切ったって、向こう側で鳴っている方の電話は鳴り続けているのだ。僕は多分それが気になってしょうがなくなり、夜しか寝れなくなってしまったり、ご飯が一日三回しか喉を通らなくなったりと、著しく生活スタイルが崩れてしまい、あたら若い命を散らせてしまうことにもなりかねない。だから、僕が携帯片手に、その向こう側の電話を、南は南極、北は北千住まで探しに探し回ったのも、決して間違った行為とは言い切れないのだ。いやむしろ誰にも言わせはしないぞ、と言う本音だって言い出しかねない気分だ。

 僕は走った。片方の耳を自分の携帯電話に押しつけ、もう片方を出来得る限りそばたてて。きっとこの電話は僕に助けを求めてるんだ。聞けば、黒電話にこそ似つかわしい古風な音だ。きっと悪い男につかまって、閉じ込められているのだろう。固く閉じられた窓から、外の世界を眺める毎日。自分だって世界中とつながることができる電話なのに。誰か私を助けて! それが、この鈴の音なのだ。これは自由を奪われた籠の小鳥の、必死の鳴き声なのだ。そう考えると、ますますそう聞こえてきた。大丈夫ですよ、お嬢さん。必ず僕が助けて差し上げましょう。思わず声に出してしまったが、大丈夫。携帯を耳に当てながらなので、変な独り言を言っている変な奴ではなく、変なことを電話口で呟いている変な奴にしかなっていない。今も、相当冷たい視線をまわりから受けているが、もし携帯電話を耳に当てていなければ、こんなものではすまなかったであろう。そうなったら危うく死んでいたところだ。この世界は死に至る罠でいっぱいだ。どうして今日まで気がつかなかったんだろう。

 そこで僕は気付いた。電話の音が電話からでなく、周りのどこかからも聞こえてきていることに。僕は下町の住宅街に入り込んでいた。その中にどう見ても廃屋にしか見えない長屋がある。その中で音が鳴っているようだった。僕は勇気を出してドアを蹴破り、中に踏み込んだ。そこはまさに廃墟で、人がもう何年も住んでいないようだった。ダイニングでは窓から入り込んだ光が、僕が巻きあげた塵の粒子を浮かび上がらされている。そこで僕は、机の上に二つの携帯電話が放置されているのを見つけた。

 一つは会話中で、僕の携帯電話につながっていて、もう一つは、どこかからの着信を受けていて、フェイクの古風なベルの音を出し続けていた。それを取り上げて、通話ボタンを押すと、それは僕の期待を裏切らず、先ほどと全く同じベルの音が、どこか向こう側から聞こえはじめた。

 僕は、埃の積もった床に自分以外の足跡がないことを不思議に思っていた。多分、茫然とするあまり妙に冷静になっていたのだろう。これをいかに解釈すればいいのか!? 僕は自分の携帯電話を持った右手をだらんとぶら下げ、僕のではない携帯電話を左の耳の当ててしばらく立ちつくしていた。僕はハッとして自分の携帯電話の通話を切る。そして、とりあえずもう一つの携帯電話を調べてみる。僕の携帯電話に電話をかけていた携帯電話だ。発信履歴には一件しかなく、着信履歴はなし。アドレス帳その他のデータも一切なし。なんの手がかりにもならない。仕方なしに僕は自分の携帯電話をポケットに押し込むと、向こう側のベルの音を伝えてくれる新しい携帯電話を耳に押し当て、また走り出した。僕の助けを待ってくれているのだ。こんなところでぼうっとしているわけにはいかないではないか。でも、僕がその後経験したのは、いつ終わるともしれぬ堂々めぐりだった。僕は、これは彼女から僕を引き離そうとする敵の卑劣な策略だ、と思い、ますます深追いをすることになった。

 夢の中で夢を見たことがある人はいるだろうか。これは別に難しくない。ただ夢を見ればいいのだ。小説の中で小説を書いたことがある人もいるだろうが、それもただ小説を書けばよい。だが、電話の中で電話を取るのは無理だ。しかし僕がそのことに気付いた時にはもう遅かった。引き返そうにも引き返せないところまで、とっくの昔に来てしまっていたのだ。気が付いたら僕は、この世界を有線無線で隈なく覆う電話通信システム網の中で迷子になっていた。僕らの世界がこんな目に見えない網でがんじがらめにされているなんて、これまで思いもしなかった。君たちも気をつけたまえ、自宅でネットサーフィンを楽しんでいたと思ってふと気が付いたら、サイバースペースの中で迷子になっていて、帰り道が分からないなんてことにならないように。

 長い旅の途中で多くのことがあり、そして多くの人と出会った。中世ヨーロッパでローマカトリックの権力に反抗するために作られた闇の電話地下組織の陰謀に、存在しないはずの電話番号をめぐって巻き込まれたりもした。また世界最初の電話はどこに掛けたのかという謎を解決するために、名古屋市市営地下鉄名城線を反時計回りに乗ることによるタイムスリップで過去に行ったりもした。世界最初の電話には、他にどこにも電話がないのでどこにも掛けるところがないはず。そうしたら電話をかけられない電話をどうして発明したのであろうか? この論理的矛盾を解決するために過去に行ったはずが、逆に僕らが過去に行ったことによるタイムパラドックスが論理的矛盾を起こし、その結果が電話の発明だったとは、お釈迦様でも気がつくまい。また、旅の途中で何人かの女性とも出会った。その中の一人とは子どもまで作ってしまった。よもやテレフォンセックスで妊娠するなんて思いもよらなかった。避妊は大切だ。

 でも、どんなことがあろうと僕の旅の目的は一つだ。それはこの世を支配する電話線の網にがんじがらめにされながらも、僕に今も助けを求め続けている彼女を救出し、ベルを鳴らし続けている彼女の電話の受話器を取ってあげて「ほら、これで君は世界とつながっている。君は自由だ」と教えてやり、さらに「いや、そうじゃない。こんなものなんかなくたって君は世界とつながれるし、君はもっと自由なんだ!」と彼女は怖がるかもしれないが、あえて彼女の電話線を取り外し、2人で通信網も道路交通網もガス網も水道網も、この世界を覆い支配しようとするあらゆるシステムから逃れるために、どこか静かな場所、誰も僕を知らず、僕のほうでも誰も知らないところ探して、耳と目を閉じ口を噤んだ人間になるんだ。

 だから、いくら周りから見たら僕が、大量の携帯電話をポケットから溢れださせて一つの携帯の音を聞きながら、もう一つの携帯に何かをまくしたてて走り回っている頭のおかしい人だとしても、いらぬお節介はやめてほしい。確かに僕は罠に掛かって不可解な世界に迷い込んでいるのかもしれない。でも君らだって、何かの罠に掛かって今の世界に捕われているだけなのかもしれないじゃないか。だから君らにとやかく言う権利は全くないんだ。それに、こういうのはこういうので、なかなか楽しいものだしね。じゃ、またいつか。

 Pi! Tuh Tuh Tuh Tuh……

解説

なんかカルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』に似た話があった気がする。

南は南極から、北は北千住ってのは、カラー版のテレビアニメ『おそ松くん』のネタだったと思う。

饒舌体を書くのは楽しいなあ。読みにくいけど。

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